トップQs
タイムライン
チャット
視点
河合義隆
日本の映画監督 ウィキペディアから
Remove ads
河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 1990年4月30日)は、日本の映画監督、演出家。映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の監督。
経歴
1965年(昭和40年)、錦城高等学校卒業[1]。同年フジテレビに入社 [2]。映画部、演出部を経てドラマ制作に携わる[2]。その後、朝の子供番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」を担当、1971年(昭和46年)にギャラクシー大賞を受賞する[3]。若くしてディレクターに抜擢後はドラマ制作で活躍[要出典]。その後、1981年(昭和56年)にフジテレビを退社してフリーランスとなり [2]、制作会社「ティンダー・ボックス」を設立[3]。
1985年(昭和60年)にはTBSテレビドラマ 『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』の演出に携わった[2]。このドラマには荻野目慶子が出演しており、河合はこの時、荻野目と出会った[3]。翌年、武田鉄矢主演の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』で映画監督デビュー[2]。
『幕末太陽伝』ののちに川島雄三が企画していた浮世絵師写楽を主人公とする『寛政太陽伝』が川島の死で頓挫していたが、河合はその実現化に尽力する中で、銀座セゾン劇場の舞台『きらら浮世伝』(1987年、脚本・横内謙介)の演出を担当する[4]。
映画『もうひとつの原宿物語』の台本執筆中の1990年(平成2年)4月、半同棲状態だった荻野目の自宅マンションにおいて、首吊り自殺[2][3]。当時、河合には妻子があった[3]。映画台本は別の人物に引き継がれた。
Remove ads
監督・演出作品
映画
- 幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬(1986年、東宝)
テレビドラマ
- お嫁さん(1974年、フジテレビ)
- 娘たちの四季 愛は素直に(1975年-1976年、フジテレビ)[3]
- 女の旅(1976年-1977年、フジテレビ)
- 霧氷(1977年、フジテレビ)
- 下町のおんな・風子(1978年-1979年、フジテレビ)
- 下町の女 めぐる月日(1979年、フジテレビ)
- 愛ってなんですか 第8回「勇気があれば」(1979年、フジテレビ)
- シラケ帝国応答アリ…(1980年、フジテレビ)
- カムバック・ガール(1982年、TBS)
- 幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(1982年、日本テレビ)
- 武田鉄矢のせんせいけらいになれ!(1984年、フジテレビ)
- 幕末青春グラフィティ 福沢諭吉(1985年、TBS)
テレビ番組
- 真理ちゃんとデイト
- ママとあそぼう!ピンポンパン - ギャラクシー大賞を受賞[3]。
Remove ads
脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads