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波多神社
長野県松本市にある神社 ウィキペディアから
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波多神社(はたじんじゃ)は、長野県松本市波田上波田にある神社である。
概要
社伝によれば725年(神亀5年)ころ創建されたと伝えられる。現在地に移ったのは1504年(永正元年)のことで、境内には樹齢800年以上と言われる小楢の木があり[1]、松本市指定の特別天然記念物になっている[2]。古くは萱原神社・青木原神社と呼ばれた沙田社であったが、中世から江戸時代末までは熊野三社大権現と称し、明治以後は、波田大明神・波田三柱社・村社波多社と名称が変遷した[1]。
沿革
- 725年(神亀5年)ころ - 畠山城の萱原明神として小さな社殿が祀られ、祭神は沙田神で、泥土煮尊・沙土煮尊・鵜萱葺不合尊三柱の神と、かたわらに草姫尊が祀られていた[3][4]
- 1143年(康治2年) - 熊野大権現を勧請し合祀した[3][5]
- 1504年(永正元年) - 畠里山城の萱原明神を青木原に移し、青木原神社と改め熊野三社大権現を祀る[4]
- 1716年~1735年ころ(享保年中) - 祭礼時の家台(山車)曳きが始まった[6]
- 1724年(享保9年) - この年記載の信府統記は、波多神社について「当社ハ天暦年中勧請凡ソ七百七十有余年ニ成ル、当所ノ産神なり、社東向ニ立ツ」と記述している[7]
- 1754年(宝暦4年) - 神楽殿が作られた[8]
- 1767年(明和4年) - 朱塗り権現造り四脚の大鳥居が建立された[9]
- 1801年(享和元年) - 祭礼に際して、家台(山車)を神前に引き入れる順番をめぐって、枝郷の赤松と渕遠嶋が争いを起こし、以後40年間は家台引きが中止となる。1841年(天保12年)に和解が成立し、家台曳きが再開となる[10]
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、神社に関する事務は松本藩から筑摩県に引き継がれた。翌年、村社波多社となる[11]
- 1909年(明治42年) - 無格社天神社(車坂原)と無格社神明社(水沢山赤坂神明)を波多社に合併させることが許可される[12]
- 1911年(明治44年) - 神饌幣帛料供進社に指定される[12]
- 1946年(昭和21年) - 宗教法人令により宗教法人波田神社として登記[13]
- 1953年(昭和28年) - 田畑とも凶作のため、祭礼での客招き・幟立て、家台曳きなどをいっさい中止し、神事のみを行った[14]
- 1954年(昭和29年) - 幼児が家台にひかれて亡くなる事故が発生[14]
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所在地
- 長野県松本市波田上波田字青木原4751番地[1]
アクセス
アルピコ交通(通称・松本電鉄)上高地線渕東駅から南に向かうと上り坂がある。この坂を上がったところに広場・波多神社・田村堂・仁王門・阿弥陀堂が隣り合って建っている。
波田地区内の他の神社
出典
- 波田町誌編纂委員会『波田町誌 歴史編』波田町教育委員会、1987年3月
- 『波多神社社務所改築記念誌』波多神社
脚注
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