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後高句麗

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後高句麗
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後高句麗(ごこうくり/こうこうくり、899年 - 918年)は、後三国時代新羅で叛乱を起こした弓裔901年高句麗の復興を唱えて、国号を高句麗と定めたことにちなむが、挙兵から滅亡までの弓裔政権全体を指すことが多い。

概要
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朝鮮の歴史
考古学 朝鮮の旧石器時代
櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 BC
伝説 檀君朝鮮
古朝鮮 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 任那
伽耶

42-
562
百済
高句麗
新羅
南北国 熊津都督府安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東都護府
668-756
渤海
698-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901-918
女真
統一
王朝
高麗
918-

高麗
武臣政権
1170-1270
高麗
征東行省
1270-1356
遼陽行省
高麗
-1392
李氏朝鮮
1392-1897
大韓帝国
1897-1910
近代 日本統治時代の朝鮮
1910-1945
現代 朝鮮人民共和国 1945
連合軍軍政期 1945-1948
アメリカ占領区 ソビエト占領区
北朝鮮人民委員会
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮
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歴史

弓裔は、899年の挙兵当時、自分が新羅第48代景文王庶子であることを自称し、901年には、松嶽(開城)に遷都して国号高麗(高句麗)と定めた。904年には正式な国号を摩震(摩訶震旦の略)に改め、年号を武泰と定めて国家体制を整備する。更に905年には鉄円に遷都し、911年には国号を泰封(たいふう)に改め、年号を水徳万歳と定めた。

後高句麗は、独自の年号官制を定めるなどし、新羅や後百済に対して優勢を占めており、弓裔は自らを弥勒菩薩と自称し仏教神秘性を利用して権威を高めようとしたが、しだいに暴君化して部下の反発を買うようになり、918年に最も有力な部下であった王建の革命により王位を奪われて逃亡中に殺された。

政教

前代の新羅と同じく、仏教が重要視された。また、国王の弓裔も自らを民衆を導く救世主「弥勒菩薩の化身」と称し、仏教神秘性を利用して権威を高めようとした。もともと、弓裔は新羅国の王子でありながら王室から見捨てられ、家を出てから世達寺(現在の江原特別自治道寧越郡にあったと推定されている)に入り、僧侶になって善宗と称した経験があるため、自らは仏教の興隆に熱心であったとされている。例えば、仏教の一部の法律を改正させたりした。

文化

脚注

関連項目

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