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浅井政高

日本の安土桃山時代~江戸時代初期の武将 ウィキペディアから

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浅井 政高(あざい まさたか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将通称は茂右衛門/茂左衛門。

概要 凡例浅井政高, 時代 ...

略歴

実父は不明だが、家譜によれば、田屋明政の甥だという。その明政の婿養子となって、その娘(海津局)を妻とした。

初めは生田姓、後に田尾姓を経て、浅井姓を称した[要出典]

淀殿に侍女として仕えた海津局と共々、豊臣秀頼に仕えた。

慶長20年(1615年)、大阪夏の陣における落城に際し、大坂城内で討ち死にした。享年55。

子の直政は海津局と千姫に従って城を脱出し、浅井姓を捨て外戚の三好姓に改めて三好直政を名乗り、江戸幕府で将軍徳川秀忠に仕えて御小姓番士となり、月俸百口となる。孫の三好政盛徳川家光の小姓として愛され、二千石の厚遇をえて、旗本・三好家の祖となった。直政の室は明石全登の娘。

参考文献

  • 堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜. 第4輯』國民圖書、1923年、990頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082713/504 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、25頁。ISBN 4404017529
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