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海北友竹

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海北 友竹(かいほう ゆうちく、承応3年(1654年) - 享保13年9月19日1728年10月12日)は、日本江戸時代前期から中期の絵師海北友雪の子で、海北友松の孫にあたる海北派の3代目。名は道親、のちに元貞。通称は権兵衛、号は道香。

略伝

京都出身。友雪の次男。宝永度の京都御所造営の際、御学問所障壁画に芦雁図、杉戸に孫登・車胤図、萑板の絵付け、公卿の間に虎図、能舞台に松竹図を描く。また同時に東宮御所造営でも、広御所下段・御後の襖に四季花鳥図、広御所の杉戸に芭蕉図・萩図、常御所夜御殿の襖に錦小鳥図、常御所沢之間の襖に海棠図を描いた[1]。享保13年(1728年)没。享年75才。墓所は十念寺。跡は息子の海北友泉が継いだ。

作品

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脚注

参考文献

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