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海州市
北朝鮮の市 ウィキペディアから
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海州市(ヘジュし、해주시)は、朝鮮民主主義人民共和国の南西部(朝鮮半島中西部)の黄海南道の道都。水産資源、地下資源に恵まれている。ここの海岸の砂は韓国にも輸出される。
地理・気候
平壌直轄市から100kmほどに位置する。海州湾に面し、港湾都市である。北には首陽山がそびえる。
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行政区画
26洞・5里を管轄する。
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歴史
要約
視点
古朝鮮以降帯方郡に属しており、高句麗は内未忽郡・池城・長池と呼び、新羅文武王以降漢州に所属してから、762年(景徳王21年)瀑池と改称し、知性を積んで大陸方面の前衛部に重要視されてきた。
高麗太祖は海に臨んだわけで「海州」と命名されて成宗は初めに牧を置き、続いて節度使を置いて顕宗の時に節度使を廃止して4都護府の1つである安西都護府を置いた。睿宗の時に大都護府に昇格し、高宗の時に牧に還元して朝鮮に継承した。
光海君の時に一時県に降格されたが仁祖元年に回復され、1895年(高宗32年)二十三府を設置して海州府となり16郡を管下において1896年十三道を設置して黄海道の道庁所在地となった。
年表
この節の出典[3]
→「碧城郡 § 歴史」を参照
- 1920年 - 海州郡海州面が指定面に昇格。
- 1927年 - 海州郡瀛東面の一部が海州面に編入。
- 1931年4月1日 - 海州郡海州面が海州邑に昇格。
- 1936年 - 海州郡瀛東面・西辺面の各一部が海州邑に編入。
- 1938年10月1日 - 黄海道海州郡海州邑が海州府に昇格。
- 1940年 - 開港場に指定された。
- 1943年10月1日 - 碧城郡西席面の一部を編入。
- 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。龍塘浦地域は38度線以南に位置するが、アメリカとソ連の合意により、最終的に海州府全域がソ連軍管理下に置かれた。
- 終戦直後 - 海州府が海州市に改称。
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、黄海道海州市、碧城郡西席面の一部地域をもって、海州市を設置。海州市に以下の洞・里が成立。(3洞20里)
- 玉渓里・泰峯洞・南川洞・白林洞・海雲里・海清里・四美里・芙蓉里・長春里・養士里・九済里・広石里・広河里・煙陽里・清風里・乗馬里・石川里・王神里・龍塘里・仙山里・石美里・結城里・挹坡里
- 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海南道海州市となる。同時に黄海南道道庁所在地となる。(3洞20里)
- 1955年 (17洞6里)
- 乗馬里が乗馬洞に昇格。
- 広石里が広石洞に昇格。
- 海清里が海清洞に昇格。
- 広河里が広河洞に昇格。
- 海雲里が海雲洞に昇格。
- 四美里が四美洞に昇格。
- 芙蓉里が芙蓉洞に昇格。
- 長春里が長春洞に昇格。
- 仙山里が仙山洞に昇格。
- 養士里が養士洞に昇格。
- 玉渓里が玉渓洞に昇格。
- 九済里が九済洞に昇格。
- 清風里が清風洞に昇格。
- 王神里が王神洞に昇格。
- 1957年6月 (15洞6里)
- 南川洞が泰峯洞・長春洞に分割編入。
- 長春洞の一部が泰峯洞に編入。
- 白林洞が芙蓉洞に編入。
- 1961年3月 (18洞7里)
- 1963年11月 - 煙陽里が煙霞洞に昇格。(19洞6里)
- 1965年1月 (22洞5里)
- 青丹郡鵲川里・長芳里を編入。
- 石川里が石川洞に昇格。
- 石美里が石美洞に昇格。
- 結城里が結城洞に昇格。
- 1967年 - 鵲川里の一部が分立し、鶴峴洞が発足。(23洞5里)
- 1972年11月 - 乗馬洞の一部が分立し、山城洞が発足。(24洞5里)
- 1973年 - 国際貿易港となる。
- 1977年9月 (24洞5里)
- 清風洞がセゴリ洞に改称。
- 泰峯洞が栄光洞に改称。
- 王神洞が南山洞に改称。
- 1981年6月 - 挹坡里が挹坡洞に昇格。(25洞4里)
- 1993年12月 (26洞5里)
- 鶴峴洞の一部が分立し、陽地洞が発足。
- 煙霞洞・挹坡洞の各一部が合併し、煙陽里が発足。
- 鶴峴洞の一部が鵲川里に編入。
経済
交通
教育
- 医科大学
海州市出身の人物
脚注
関連項目
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