トップQs
タイムライン
チャット
視点
深尾重照
ウィキペディアから
Remove ads
深尾 重照(ふかお しげてる)は、江戸時代前期の土佐藩の家老。深尾家当主・佐川領主3代。
生涯
元和5年(1619年)、高岡郡佐川土居付家老の深尾重昌の子として誕生した。
寛永11年(1634年)、3代将軍・徳川家光が上洛する際、幕府の証人となり、上京して二条城で家光に拝謁し、土佐藩2代藩主・山内忠義の世子・忠豊と共に江戸に下向する。慶安4年(1651年)、証人を交代して帰国する。寛文2年(1662年)3月、父の隠居により家督を相続する。
寛文3年(1663年)、奉行・野中兼山の失脚のきっかけとなった3箇条の訴書を、父・重昌、義兄弟・山内豊吉と連名で、側近孕石頼母、生駒木工を通じて藩主・山内忠豊に提出した。寛文9年(1669年)、藩主・豊昌の家督相続御礼言上の際に、4代将軍・徳川家綱に拝謁する。
系譜
脚注
出典
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads