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清水寺信号場

かつて島根県安来市にあった日本国有鉄道の信号場 ウィキペディアから

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清水寺信号場(きよみずでらしんごうじょう)は、1964年から1982年まで島根県安来市にあった、日本国有鉄道(国鉄)山陰本線信号場である。米子駅 - 安来駅間に所在していた。単線区間の列車交換用に開設されたが、末期は単線区間と複線区間の境界信号場であった。

概要 清水寺信号場, 所在地 ...

清水寺は、信号場から南西2キロメートルほどのところにある古寺である[3]

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歴史

清水寺信号場開設以前、1915年(大正4年)3月31日に当時の能義郡島田村大字門生に、「毎年必要の時期に限り旅客、手荷物、小荷物の取り扱いを為す」という仮停車場として、清水寺仮停車場が設置されていた[4]。米子から2.4マイル、安来から3.1マイルの地点で、メートル法施行後は米子から3.9キロメートル、安来から4.9キロメートルの地点となった。清水寺信号場開設と同日廃止された[1]

1964年(昭和39年)10月1日、列車交換を目的として清水寺信号場が開設された。島田踏切の東側の地点であった[5]。キロ程は米子から5.0キロメートル、安来から3.8キロメートルとされ[1]、清水寺仮停車場より1.1キロメートル安来側に位置することになる。

山陽新幹線の開通後、伯備線を経由しての陰陽連絡輸送が強まり、山陰本線のこの区間も輸送の伸びが期待されるようになった。1982年(昭和57年)秋に開催される島根国民体育大会(くにびき国体)に間に合うように、伯備線と山陰本線伯耆大山 - 出雲市間の電化と、米子 - 安来間の複線化が実施されることになった[2]。複線化は2段階に分けて行われ、1982年(昭和57年)6月18日に清水寺信号場 - 安来間が複線化されてこの時点で単線・複線境界の信号場となった。そして6月24日に米子 - 清水寺信号場間も複線化され、これに合わせて清水寺信号場も廃止となった[5]。7月1日に電化開業となった[2]

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脚注

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