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源師賢

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源 師賢(みなもと の もろかた)は、平安時代中期から後期にかけての貴族歌人宇多源氏参議源資通の長男[1]官位正四位下左中弁

概要 凡例源師賢, 時代 ...

経歴

叙爵後、少納言を経て康平6年(1063年)に後冷泉天皇五位蔵人に補任される(当時の位階正五位下)。同年12月には右少弁に任ぜられ、以後弁官を歴任する。治暦4年(1068年)4月に後冷泉天皇が崩御して後三条天皇即位するが、引き続き五位蔵人に補せられ、同年12月には左少弁に昇任した。

白河朝でも、承保2年(1075年従四位下・権右中弁、承保3年(1076年)従四位上、承保4年(1077年正四位下・権左中弁、承暦4年(1080年)左中弁と弁官を務めながら昇進を重ねる。

同年末には蔵人頭に任ぜられるが、約7ヶ月後の永保元年(1081年)7月2日卒去享年47。最終官位は蔵人頭左中弁正四位下兼木工頭修理右宮城使。

人物

弟・政長と共に宇多源氏の家業である管弦の道を継いで、和琴の名手として知られた。また、歌人として名を挙げ、『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に16首が入る[2]

官歴

『弁官補任』および『蔵人補任』による。

系譜

脚注

参考文献

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