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源庶明

平安時代前期から中期の公卿・歌人。斉世親王の三男。従三位、中納言 ウィキペディアから

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源 庶明(みなもと の もろあきら/もろあき)は、平安時代前期から中期にかけての公卿歌人宇多天皇の孫で、兵部卿斉世親王の三男。

概要 凡例源庶明, 時代 ...

経歴

醍醐朝延長2年(924年)二世王待遇の蔭位により従四位下に直叙され、翌延長3年(925年侍従に任官する。延長7年(929年左京大夫に転じる。

朱雀朝承平3年(933年右兵衛督、承平6年(936年)従四位上に叙任されたのち、天慶4年(941年参議に任ぜられ公卿に列す。議政官として左京大夫左兵衛督などを兼帯し、この間の天慶8年(945年)には正四位下に叙せられている。

村上朝に入ると、天暦元年(947年)兼官が左大弁に遷り、天暦5年(951年従三位権中納言、天暦7年(953年)中納言に叙任されている。天暦9年(955年)5月20日に薨去享年53。最終官位は中納言従三位兼左兵衛督。

人物

天慶2年(939年)11月3日『慈覚大師伝』を弟・英明延暦寺に進呈した際に、庶明は成立経緯を記した跋文を書いた[1]。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品4首が入集している。

広幡邸を邸宅とし[2]広幡中納言と号した。

官歴

公卿補任』による。

系譜

脚注

参考文献

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