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源致遠

平安時代中期の貴族 ウィキペディアから

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源 致遠(みなもと の むねとお、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族文徳源氏民部大輔源国光の子。官位従四位上備後守

経歴

文章生を経て、円融朝中期に式部丞を務める。のち、巡爵を受け、天元3年(980年)ごろ出羽守として受領に転じた。なお、出羽国への赴任に際して、太政大臣藤原頼忠から餞別の和歌を贈られている[1]

花山朝寛和元年(985年)治国の功労により従五位上に叙せられる。一条朝に入ると但馬守備後守と引き続き受領を歴任。この間、永祚元年(989年従四位下正暦4年(993年)従四位上と昇進を重ねた。長徳3年(997年)致遠の邸宅に強盗が入り、財物を窃取されている[2]

のち、出家したとされる。

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:源国光
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:源致道
    • 男子:源安道
    • 男子:桓舜(978-1057)

脚注

参考文献

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