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源頼仲

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源 頼仲(みなもと の よりなか)は、平安時代後期の武将河内源氏源為義の五男。母は源基実の娘。あるいは文徳源氏源資遠資道)の娘とも。同母兄に源頼賢、同母弟に源為宗掃部助左兵衛尉。通称は五郎掃部助、また掃部五郎とも。

概要 凡例源頼仲, 時代 ...

略歴

保元の乱では父・為義に従い、崇徳上皇藤原頼長方として参戦。敗北し、父と共に兄・義朝のもとに降参する。義朝によって助命嘆願されるも叶わず、義朝の手によって船岡山京都市北区)において、父や兄弟らと共に斬首された。この時頼仲は、「兄上(義朝)は心狭く、自分一人生き残ろうとしている。万が一の事があれば後悔するであろう」と高笑いしていたという。

子の加茂冠者源義嗣1183年淡路国で従兄弟の源義久と共に平教経と戦うが、義嗣は討ち取られてしまった(六ヶ度合戦)[1]

脚注

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