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熊本寿人
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熊本 寿人(くまもと ひさと〔仮、読み不詳[1]〕、1858年9月21日(安政5年8月15日[2])- 1924年(大正13年)1月10日[1][3])は、明治から大正期の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・北村。
経歴
筑後国三潴郡、のちの福岡県久留米市[4]で久留米藩士・北村養啓の二男として生まれ[5]、三潴郡木室村中木室(現大川市)の熊本謹蔵の養子となる[5]。和洋学を修めた[1][4]。
1886年(明治19年)福岡県の花筵業振興のため合資会社共産社を設立[6][7]。花筵の製造、販売に従事し、染料の改善、染釜の改良などにより製品の品質向上に尽力した[3][6][7]。また、筑後茣蓙商同業組合頭取、福岡県花筵同業組合長などを務めた[1][6]。その他、三潴銀行取締役、福岡県農工銀行監査役にも在任した[5]。
政界では福岡県会議員、同参事会員などに就任[1][4][6]。1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙に福岡県郡部から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員に1期在任した[1][4][6]。
栄典
脚注
参考文献
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