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片桐貞隆
戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。大和小泉藩初代藩主。片桐直貞の次男。従五位下、主膳正 ウィキペディアから
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片桐 貞隆(かたぎり さだたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。大和国小泉藩の初代藩主。官位は従五位下、主膳正。片桐且元は実兄に当たる。
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略歴
永禄3年(1560年)、近江国にて片桐直貞の次男として生まれる[2]。
天正8年(1580年)、21歳のときに豊臣秀吉に仕え、播磨国揖東郡に150石の采地を与えられた[3]。
天正13年(1585年)3月26日には山城国枇杷庄に4千石を与えられ[4]、同年に従五位下・主膳正に叙任された[5]。
その後、天正18年(1590年)の小田原征伐や天正20年(1592年)の文禄の役に従軍し、慶長の初め頃には播磨国揖東郡に1万石を知行していた[4]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属して大津城の戦いに参加したが[6]、所領は安堵された。
慶長19年(1614年)6月、大野治長とともに徳川家康の口添えで5千石を秀頼より加増され、その礼として治長と駿府にいる大御所家康、次いで江戸の将軍徳川秀忠を訪ねる。しかし、大坂に戻ってくるなり方広寺鐘銘問題が噴出し、これを契機に家康との内通を疑われるようになり、兄とともに豊臣家の下を去って家康に仕えるようになり、大坂夏の陣の後、1615年、大和国小泉に1万6千石を知行した。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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