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猿田浩得
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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猿田 浩得(さるた ひろのり、1982年10月28日 - )は、広島県大竹市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
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人物
ドリブラー。スピードで勝負するタイプのFW、攻撃的なMF[1]。
タイにおける日本人サッカー選手の価値を上げた選手であり、彼の活躍によりタイ・プレミアリーグにおける日本人選手の需要が高まった。タイではキングと呼ばれていた。[1][2]。愛媛FCにとっての日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)初得点を挙げた選手である[3]。
来歴
廿日市FC[1]、フジタSS[4]、山陽高等学校[1]、拓殖大学出身。フジタSS時代の同期に柴村直弥[4]、実兄の公章もフジタSS出身であり[4]、沖野等から指導を受ける[6]。拓殖大時代はエースストライカーとして活躍し、2004年大学4年生の時にはチームを関東大学サッカーリーグ戦2部昇格に導いた[7]。 3年間関東選抜にも選ばれていた。
2005年、日本フットボールリーグ(JFL)の愛媛FCと契約し、同年度でのJ2昇格に貢献。2006年J2第1節対横浜FC戦において、後半から途中出場し後半43分に愛媛FCにとってのJリーグ初ゴールを決め、愛媛にとってのJリーグ初勝利に貢献した[3]。同年末に戦力外となる。
Jリーグ合同トライアウトを経て、2007年からJFLのYKK APに入団[8]。同年度末、YKKはアローズ北陸と統合しカターレ富山が誕生するも、富山には入団しなかった。
2008年から東南アジアのサッカーリーグに転籍、シンガポール・Sリーグのバレスティア・カルサFC、2009年からタイ・プレミアリーグのシーラーチャーFCに移籍。活躍が認められ2010年バンコク・グラスFC(現:BGパトゥム・ユナイテッドFC)に移籍。主力として活躍し、2010年度のタイ・スーパーカップでゴールを量産し優勝に貢献、自身もMVPを受賞した[1]。2011年には日本人選手としては初となる、タイリーグ2011シーズンベスト11に選ばれている[9][10]。
2013年12月、タイ・プレミアリーグのシンタールアFCに移籍した。
2015年12月18日、チェンライ・ユナイテッドFCに移籍した。
2017年1月、ウドーンターニーFCに移籍した。
2018年2月、現役引退を発表した[11]。
セカンドキャリアに選んだ場所は日本ナショナルトレーニングセンターのJ-GREEN堺。 その後、セレッソ大阪に在籍中
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個人成績
指導歴
出典
関連項目
外部リンク
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