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玉田金三郎
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玉田 金三郎(たまだ きんさぶろう、1858年5月29日(安政5年4月17日)[1] - 1915年(大正4年)6月27日[2])は、日本の弁護士。政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
大和国添上郡奈良町(現・奈良県奈良市)生まれ[3]。弁護士試験に合格し、その業務に従事する[3]。奈良市会議員、同参事会員、同議長、奈良県会議員、宅地貸借価格調査委員、大阪電気軌道(株)取締役となる[2]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において奈良1区から自由党所属で立候補するが次点で落選した[4]。1892年の第2回衆議院議員総選挙で独立倶楽部から立候補して当選した[5]。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して落選した[6]。1915年に死去した。
脚注
参考文献
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