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田中信明
日本の外交官 ウィキペディアから
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田中 信明(たなか のぶあき、1946年8月26日 - )は、日本の外交官。千葉県出身。
略歴
千葉県生まれ。東京都立日比谷高等学校を経て東京大学法学部卒業後、1970年外務省入省[1]。ケンブリッジ大学キングスカレッジ卒(経済学修士)。世界平和研究所(中曽根平和研)主任研究員(初代)、早稲田大学国際部非常勤講師(1987~1992)、同志社女子大学教授(2002~2004)を経験しながら、大洋州課長、企画課長、北米一課長、外務副報道官、北米局そして総合政策局審議官、サンフランシスコ総領事[1]、駐パキスタン大使[1]などを歴任。
湾岸戦争当時、対米交渉に当たる。又、日米合同委員会の日本側代表として普天間基地移設問題、厚木基地環境問題等に取り組む。更に偵察衛星導入に当たっての対米交渉に当たる。パキスタンでは大地震での対パ救援活動を指揮。
国際機関の経験が長く、1980-1983年に国連広報局に明石康事務次長の下で広報官を[2]、1994-1997年にユネスコ事務次長(財政、人事、総務担当)を務める。その経験を買われ2006-2007年にアナン事務総長を補佐し、国連事務次長(軍縮局長)に任用された[3][4]。
国連ではクラスター爆弾禁止条約に向けて国連を積極的支持に政策変更させた。
その後、潘基文事務総長就任後に辞任、2007-2011年まで駐トルコ日本国大使を務める。現在はガイアコンタクトのCEOとして中東・アジアのコンサルタントを務める。
沖縄科学技術大学院大学評議員、日本・中東医学協会理事。
センチュリー財団・カーネギー財団共催の「パキスタンに関する国際作業グループ(ピカリング米国・元国務次官座長)」のメンバー。
外務省において、最初のワイン・エクスパートになるとともに、ブルゴーニュ及びボルドー騎士団の一員。
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脚注
関連項目
外部リンク
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