トップQs
タイムライン
チャット
視点
田安門
東京都千代田区北の丸公園内の門 ウィキペディアから
Remove ads
田安門(たやすもん)は、東京都千代田区北の丸公園内にある、旧江戸城の門[1]。北面する高麗門[2]と西側に矩折りに位置する櫓門からなる桝形門である。1961年(昭和36年)に「旧江戸城田安門」として国の重要文化財(建造物)に指定されている。
概要
田安門は、創建年代は明らかではないが、高麗門の扉の釣金具に残された刻銘から、1636年(寛永13年)に建てられたものと考えられている。古くは田安門の辺りは、「田安口」、「飯田口」と呼ばれ、上州方面へ通じる道があったといわれている。門を潜り進むと北の丸公園があり、当時、田安門から南にわたる西側一帯は田安家(田安徳川家)が、東側一帯は清水家(清水徳川家)が、それぞれ所有していた。江戸城造営後は、「北の丸」と称して、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となった。千姫や春日局、徳川家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などがあった。現在は、北の丸公園の出入口となっており、常時出入りができる。「江戸城跡」は国の特別史跡に指定されている。また、江戸城の門としては他に外桜田門と清水門が重要文化財(建造物)に指定されている[3]。
- 門名の由来
現在の門内の辺りは、当初、田安台といわれていた百姓用地で、そこに田安大明神(現・築土神社)があったことから名付けられた。
Remove ads
沿革
- 1457年(長禄元年) - 太田道灌によって江戸城が創られた
- 1590年(天正18年) - 徳川家康の居城となる
- 1592年(文禄元年) - 江戸城の大規模な改修が行われた
- 1607年(慶長12年) - 天守閣が建てられる
- 1636年(寛永13年) - 田安門が太田道灌時代に建てられた、総構が完成し、大城郭としての形がととのえられた
- 1657年(明暦3年) - 江戸城が大火に見舞われたが、城郭の規模は幕末まで維持された
- 1730年(享保15年) - 八代将軍吉宗は、次男・宗武を家祖として田安家を興し、宗武の男・松平定信はここで生まれた[4]
- 1963年(昭和38年) - 田安門の解体修理が行われた[3]
重要文化財(建造物)
交通
ギャラリー
脚注
関連文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads