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田宮嘉右衛門

日本の実業家 ウィキペディアから

田宮嘉右衛門
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田宮 嘉右衛門(たみや かえもん、1875年8月29日 - 1959年4月13日)は、日本の実業家。初代神戸製鋼所支配人、第5代神戸製鋼所社長。

概要 たみや かえもん 田宮 嘉右衛門, 生誕 ...

経歴

愛媛県新居郡立川山村(現:新居浜市)出身。1890年別子山村の小足谷尋常高等小学校卒業[1]1904年鈴木商店入社。1905年、神戸製鋼所支配人となり、1911年、神戸製鋼所が鈴木商店から分離独立して株式会社となると、常務取締役に就任[2]。1928年に専務取締役、1934年に取締役社長となり[3]、1945年に社長を退いて相談役となった[4]。戦後の1947年に公職追放指定を受けたが、1951年の解除後は再び相談役に就任した[5]。また、播磨造船所社長、神戸銀行取締役などを歴任し、経済同友会名誉会員、神戸商工会議所顧問などもつとめた。

1958年9月、熱海において脳塞栓で倒れ、同年10月より神鋼病院で療養していたが、1959年4月13日に死去した。83歳没。同日付で従五位・勲三等に叙せられた[6]

人物

田宮は「至誠一貫」「和衷協同」の精神をかかげ、その生涯を創業期、戦中、戦後と神戸製鋼とともに歩み、神戸製鋼所中興の祖とされる。戦前より神戸製鋼所に銑鋼一貫生産体制を整えることを切望し、1959年、神鋼病院の病床で高炉完成の知らせを聞くと、そのほおに喜びの色が見えたという。

脚注

参考文献

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