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田畑精一

日本の絵本作家・挿絵画家 ウィキペディアから

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田畑 精一(たばた せいいち、1931年3月30日[1] - 2020年6月7日[2])は、日本絵本作家挿絵画家。作家の文に挿絵をつけるほか、共作や自作の絵本もある。1984年から1985年にかけて日本児童出版美術家連盟理事長を務めた[2][3]

概要 田畑 精一(たばた せいいち), 誕生 ...
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略歴

1931年昭和6年)、大阪に生まれ、芦屋市で育つ。1945年(昭和20年)1月に父を亡くし、アルバイトしながら勉強する。高校時代は美術部の部長を務める。原子物理学に興味を持ち京都大学理学部に入学するが、朝鮮戦争が始まって大学が騒然とするようになると、原子物理に疑問を抱くようになり、人形劇に関心が次第に移っていき、大学を中退して人形劇団プークに参加。その後22歳の秋から約10年間は、人形座(1952年 - 1963年)に参加し、主に美術を担当。人形座の解散後、絵本の世界にひかれていく。

同じ東久留米市の近所に越してきた古田足日との出会いから親交を深め、彼の本『くいしんぼうのロボット』(小峰書店 1966年)に挿絵を描く[4]。『やまとたける』(与田凖一文、国土社 1968年)『はごろも』(与田凖一文、国土社 1969年)で初めて絵本の挿絵を担当。『おしいれのぼうけん』は、古田との共作による絵本で、1974年の初版以来2007年9月までに推定累計180万部を売り上げた[5]。出版50年となる2024年時点の発行部数は250万部[6]

また『さっちゃんのまほうのて』は「先天性四肢障害児父母の会」からの依頼で共同制作した絵本で、先天性の障害を持つ女の子とその周囲を描き、赤い靴児童文化大賞を受賞した[2]1985年の初版以来、2010年までの25年間で65万部のロングセラーとなった[7]

「子どもの本・九条の会」代表団員を務めた[8]

2020年6月7日老衰で死去[2]。満89歳没。

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家族

妻は人形作家の保坂純子(ほさか すみこ[9]、 - 2018年9月16日[9][10][11]。古田足日の妻、文惠と女子大の同窓生で仲が良く、家族ぐるみで交流があった[10][12]

主な作品

田畑単独執筆

古田足日作品

  • 『くいしんぼうのロボット』(挿絵)小峰書店、1966年
  • 『モグラ原っぱのなかまたち』(挿絵)あかね書房、1968年
  • 『れいぞうこロボット』(挿絵)盛光社、1969年
  • 『水の上のタケル』(挿絵)偕成社、1969年
  • 『ぽんこつロボット』(挿絵)岩崎書店、1970年
  • 『夏子先生とゴイサギボーイズ』(挿絵)大日本図書、1971年
  • 『千成びょうたん』(挿絵)童心社、1971年
  • 『へび山のあい子』(挿絵)童心社、1987年
  • おしいれのぼうけん』〈絵本ぼくたちこどもだ 1〉 (共作) 童心社、1974年
  • 『ダンプえんちょうやっつけた』〈絵本ぼくたちこどもだ 2〉(共作)童心社、1978年

他の作家の挿絵

紙芝居

  • 古田足日『ロボット・カミイ』童心社、1971年
  • 与田凖一(脚本)『おとうさん』童心社、1968年 - 第7回高橋五山賞画家賞
  • わしおとしこ『くちのあかないカバヒポポくん』童心社、1984年

受賞歴

略年譜

要約
視点
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脚注

参考文献

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