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町支寛二
日本のシンガーソングライター、ギタリスト (1952-) ウィキペディアから
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町支 寛二(ちょうし かんじ、1952年5月5日 - )は、広島県呉市出身のギタリスト。
浜田省吾の長きに渡るパートナーとして知られている。
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略歴
幼い頃からエルヴィス・プレスリーやポール・アンカといったオールディーズ・ポップスを好んで聴いており、ビートルズに出会ってから音楽に夢中になる。
後に知り合う浜田は町支を「自分よりもビートルズに詳しい人間に初めて会った」と語っており、楽曲だけでなくコード進行まで覚えている事実に衝撃を受けたという。
1968年、修道高等学校1年の時、バンド「グルックス」を結成、広島フォーク村に参加。1969年、フォーク村のインディーズアルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』に自作曲「波よ消さないで」で参加。1970年、グルックス解散。
1972年、東海大学在学中に旧友である浜田らと共にバンド「愛奴」を結成。1974年、吉田拓郎の全国ホール・ツアーのバックバンドとして帯同。1975年に愛奴のボーカリスト及びギタリストとしてレコード・デビュー。1976年に愛奴は解散するが、同年春にソロ・デビューしていた浜田のレコーディング・ツアーメンバー、更にはマネージャーの仕事も請け負っていた事もある。浜田が地方のラジオ番組に出演した後ホテルに戻り、経費の精算をしている町支を見て、浜田は申し訳なく思ったという。
ファルセット・ヴォイスを活かしたコーラス・アレンジは絶品で、浜田作品にとって欠かせないものとなっている。互いに強い絆で結ばれており、1994年に浜田の全国ツアー中に町支が脳腫瘍で手術・入院した際は、ツアーを中断し町支の復帰を待った。河合夕子の一連のアルバムで担当したコーラス・アレンジは、日本の音楽界に残る名アレンジといわれている。
ギタリストとして、1980年の浜田のアルバム『Home Bound』で共演したTOTOのスティーヴ・ルカサーに大きな影響を受けている。レコーディングの最中、同じくTOTOにハマっていた水谷公生と二人、ルカサーのプレイに見惚れていた。浜田は「ライブで頭を振りながらギターを弾くのは、このときのルカサーの影響だろう」と述べている。
1980年代以降、浜田の作品以外にも、尾崎豊、杉真理、村下孝蔵、前川清、小山卓治などのレコーディングに参加、スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアも積み上げていく。1992年、40歳にして初のソロ・アルバムを発表、その後も断続的にソロ活動を行っている。
長年の盟友、古村敏比古と音楽ユニット「カンフル罪」を結成、アルバム・リリースやライブ・ツアーを行っている。
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ディスコグラフィー
シングル
オリジナル・アルバム
ミニ・アルバム
ベスト・アルバム
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脚注
関連項目
外部リンク
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