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町田俊夫
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町田 俊夫(まちだ としお、1969年3月18日 - )は、千葉県出身の元騎手。
来歴
競馬学校3期生として伊藤暢康・蛯名正義・合谷喜壮・塩村克己・芹沢純一・武豊・寺島祐治・長峰一弘と同期になり、1987年3月に美浦・大久保良雄厩舎からデビュー[1]。
1年目の1987年は3月1日の中山第8競走4歳以上400万下で伊藤[2]・長峰[3]と共に初騎乗を果たすが、自身の騎乗馬ローレルグラスは16頭中11着に終わった[4]。7月12日の福島第1競走3歳未勝利をマルホイッシンで逃げ切って初勝利[5]を挙げたが、秋の東京で2着2回[6]も2勝目はならず、初勝利の1勝のみに終わった[7]。
2年目の1988年は母父ダテホーライの青森産馬カネショウホーライ[8]で南関東からの移籍初戦となった5月21日の東京第12競走4歳以上900万下を勝利し[9]、千葉産馬トラストテイオーで東京ダート1400mの新馬・400万下[10]、福島県産馬ミリオンスパークで地元福島の新馬を逃げ切る[11]。同年は7勝を挙げたが、結局この年が自己最多となり、引退まで2桁勝利を挙げることはなかった[7]。
1990年には1988年の優駿牝馬で実況していた堺正幸(当時・フジテレビアナウンサー)にコスモドリームと間違えられたサンキョウセッツ[12]を3歳時以来の勝利[13]に導き、重賞初騎乗となった中山牝馬ステークス・エースメロディーでは14頭中13番人気ながら5着[14]に入る。千葉・千明牧場生産馬グラッパ[15]では栗子特別(500万下)を勝利して自身唯一の特別勝ち[16]を挙げ、新潟記念ではカネショウホーライで15頭中13番人気ながらラケットボール・イダテンターボに先着する4着[17]に入り、6勝[7]をマーク。
1993年には1月23日・24日の中山で自身唯一の2日連続勝利[16]、8月1日の新潟では1日3勝[16]を挙げるなど5勝[7]をマーク。
1995年10月28日の新潟第3競走4歳未勝利・エムティドライバーが最後の勝利[16]となり、1997年3月29日の中山第2競走4歳未勝利ではカネショウホーライ産駒カネショウノボル[18]で11番人気ながら2着に入って馬連4万馬券[19]の波乱を演出したが、10月11日の福島第7競走4歳未勝利・ブランドロット(14頭中6着)を最後に引退[20]。
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騎手成績
脚注
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