トップQs
タイムライン
チャット
視点

イダテンターボ

日本の競走馬 ウィキペディアから

Remove ads

イダテンターボIdaten Turbo1986年5月25日 - 不明)は、日本競走馬[1]。主な勝ち鞍は1990年七夕賞GIII)。

概要 イダテンターボ, 欧字表記 ...

経歴

1986年5月25日、北海道三石町の大塚牧場で、カズヒデの13番仔として誕生[3]。大塚信太郎場主は「小さくて、これといって目立った馬ではありませんでした[4]。」と振り返っている。美浦トレーニングセンターの鈴木勝美厩舎に入厩した[1]

4歳となった1989年4月16日、新潟競馬場の未出走戦(芝1400メートル)でデビューし、11着[5]。それから11月までに未出走戦、未勝利戦を13回走るも最高は3着で、勝利を挙げられなかった。現役を続行し、未勝利の身で400万円以下を2度走ったが、連敗[6]。気性が荒く、大塚によれば「レース中にどこへ飛んでいくかわからないような馬[4]」であり、平地競走を主とする騎手には、恐怖から騎乗を断られるようになっていた[4]

5歳となった1990年1月27日、小倉競馬場の4歳以上500万円以下(芝2000メートル)では、障害競走への騎乗可能な牧之瀬幸夫と初コンビを結成し、6着[6]。それから、牧之瀬が騎乗を続けて3戦目、2月17日、小倉競馬場の4歳以上500万円以下(芝2000メートル)に10番人気の支持で出走し、後方にクビ差つけて勝利。19戦目で初勝利を果たした[6]

その後も、牧之瀬とともに500万円以下に出走して、4着、3着、2着と右肩上がりに着順を伸ばした。昇級4戦目である5月4日、福島競馬場の夏井川特別(500万円以下)にて後方に4分の3馬身差をつけて勝利し、500万円以下を突破した[7]。そして、900万円以下に進み、初戦は2着。2戦目は8着に敗れて2連敗。3戦目となった福島競馬場の信夫山特別(900万円以下)にて、後方に1馬身半差をつけて勝利し、900万円以下を突破した[8]

続いて7月8日、ハンデキャップ競走七夕賞GIII)で重賞初挑戦。条件馬の立場で格上挑戦となり、負担重量は全15頭中2番目に軽い50キログラムで出走し、12番人気に支持された[4]。後方待機から最終コーナーで大外に持ち出し、1番人気のタカラフラッシュと併せながら進出。競り合ったタカラフラッシュをハナ差退けて先頭で入線した[4]。重賞初勝利となり、牧之瀬にとって初となるJRA平地重賞タイトルであった[4]。鈴木は「僕自身、この馬に対して、まだオープン馬という感じがしないんですよ。どちらかというとやっと未勝利を勝ったばかりですね、実感としては。(中略)そんな馬がまさか半年もしないうちに重賞を勝つなんて、誰も想像もできない。まさしくあれよ、あれよですからね。[4]」と振り返っている。

それから、新潟記念GIII)に進むも14着。重賞・オープン競走に連戦するも、いずれも下位敗退[6]。12月8日のステイヤーズステークスGIII)にて7着に敗れたのを最後に、競走馬登録を抹消された[6]

Remove ads

競走成績

要約
視点

下の内容は、netkeiba.com[9]およびJBISサーチ[6]の情報に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
Remove ads

血統表

イダテンターボ血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ニアークティック系

*ノーザンディクテイター
1974 鹿毛
アメリカ
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Dictates
1964 鹿毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Punctilious Better Self
Puccoon

カズヒデ
1966 黒鹿毛
*ヒンドスタン
1946 黒鹿毛
イギリス
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
母の母
セイセン
1958 黒鹿毛
*ライジングフレーム The Phoenix
Admirable
アレグロ *ダイオライト
第弐オーグメント
母系(F-No.) アストニシメント(GB) 系(FN:7-c)
5代内の近親交配 Nearco 4×5×5
出典

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads