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畸人十篇

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畸人十篇
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畸人十篇』(きじんじっぺん、きじんじゅっぺん、拼音: Jī rén shí piān)は、明代中国イエズス会宣教師マテオ・リッチ(利瑪竇)の著作。『天主実義』の姉妹編的な著作[1]1608年万暦36年)初刻[2]

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『畸人十篇』清末1847年の刊本

平田篤胤に影響を与えたことで知られる[3][4]

内容

「畸人」(奇人)すなわちマテオ・リッチ[5]士大夫各人(徐光啓李之藻李戴中国語版ら)との対話形式で[6][7]、西洋の死生観来世について論じる[8][9]。全2巻10篇[10]

「畸人」という語は『荘子』大宗師篇に由来する[11]。「奇妙な外国人」[12]と同時に「『荘子』のように死生観を語る人」を含意する[11]

聖書アウグスティヌス中国古典イソップ寓話狐と獅子など)を引用している[13]。『天主実義』と重複する内容もある[14]

序跋が李之藻周炳謨中国語版王家植中国語版らに著されている[15]。本書の附録に『西琴曲意』がある[16][17]

成立・影響

1608年万暦36年)初刻[2]。リッチの長年の対話録として作られた[18][7]。リッチの『報告書』では『パラドックス集』(イタリア語: Paradossi)と呼ばれ、本書の影響で改宗した中国人もいたと報告されている[19]

度々重刻され、『天学初函』にも収録された[15]。『四庫提要』には存目として載っている[20]典礼論争による禁教を挟んで、清末1847年道光27年)に再び重刻された[21]

李氏朝鮮でも読まれた[22]日本では、キリシタン禁書に指定されながらも荻生徂徠水野軍記に読まれた[23][24]

平田篤胤は『畸人十篇』や『天主実義』、アレーニ『三山論学記』、パントーハ『七克』などを読み、1806年文化3年)これらを神道的に翻案した『本教外篇』を著した[3][25][26]

日本語訳

  • 柴田篤「『畸人十篇』の研究 : 第一篇・第二篇訳注」『哲學年報』第68号、九州大学大学院人文科学研究院、2009年。 NAID 120001164487https://hdl.handle.net/2324/13919
  • 柴田篤「『畸人十篇』の研究(二) : 第三篇・第四篇訳注稿」『哲學年報』第71号、九州大学大学院人文科学研究院、2012年。 NAID 40019237628https://hdl.handle.net/2324/25109

参考文献

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脚注

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