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登久姫

松平信康の長女。小笠原秀政の正室。 ウィキペディアから

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登久姫(とくひめ、天正4年(1576年) - 慶長12年10月18日1607年12月7日))は、松平信康徳川家康長男)の長女。母は徳姫織田信長の娘)。信濃松本藩初代藩主・小笠原秀政の正室。名は福姫(ふくひめ)ともいう。法名は峯高院。

概要 とくひめ 登久姫(福姫), 生誕 ...

生涯

天正4年(1576年)3月、岡崎城で生まれた。登久姫が4歳の時に父が切腹し、翌年に母が美濃に帰ったため、登久姫と妹・久仁姫は祖父・家康と側室の西郡局に養育された。天正17年(1589年)8月、豊臣秀吉の仲介で小笠原氏当主・小笠原秀政と結婚し、秀政との間に六男二女をもうけた。慶長12年(1607年)10月、 信濃飯田城にて32歳で疱瘡(天然痘)により死去した[1]

子女

墓所

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飯田市の峯高寺にある「福姫の墓」

登久姫(福姫)の位牌は福岡県京都郡みやこ町の平照山峯高寺にあるが、墓(宝篋印塔)は、長野県飯田市松尾町の峯高寺にある[1]。墓石には徳川家の家紋である三つ葉葵の紋が刻まれている[2]。脇には、「福姫の墓」として飯田観光協会の案内板が建てられている。

小笠原氏は松本城明石城小倉城に転封していったが、それぞれの城下町には峯高寺という寺院が建立され、飯田の峯高寺が伝えられていった[3]

登場作品

脚注

参考文献

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