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白澤正二

日本の実業家 ウィキペディアから

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白澤 正二(しらさわ しょうじ、1913年2月2日 - 1995年1月23日[1])は、日本の実業家。茨城放送(現在のLuckyFM茨城放送)社長・会長、朝日新聞編集委員などを務めた[2]

略歴

長野県南安曇郡明盛村三郷村を経て、現在の安曇野市)生まれ。1930年(昭和5年)旧制松本第二中学校(現在の長野県松本県ヶ丘高等学校)を卒業した[注釈 1]1936年(昭和11年)旧制松本高校を経て、京都帝国大学法学部を卒業した。

1937年、朝日新聞社に入社した。東京本社整理部次長、同学芸部次長、西部本社運動部長、東京本社編集委員を経て、1965年に茨城放送代表取締役社長に就任し、その後は会長を務めた。

また、1972年日本記者クラブ会員[4]1978年(昭和53年)7月から1979年(昭和54年)6月まで、水戸ロータリークラブ会長(第29期)を務めた[5]

1995年1月23日午後5時35分、腎不全のため東京都府中市の病院で死去した。81歳没[2]。葬儀と告別式は国分寺市の寺院で同月25日午後1時から行われ喪主は妻が務めた[2]

人物

1970年代前半、霞ヶ浦水質汚染が問題になると、当時茨城県水質審議会会長を務めていた白澤は、霞ヶ浦の環境基準県案をまとめ、「上水道級」指定の要望を求めるなど、水質汚染問題に取組んだ[6]

脚注

参考文献

外部リンク

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