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相良頼福

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相良頼福
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相良 頼福(さがら よりとみ)は、肥後国人吉藩の第4代藩主。相良氏第23代当主。

概要 凡例相良頼福, 時代 ...
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生涯

慶安2年(1649年)3月14日(または慶安4年(1651年))、第2代藩主相良頼寛の弟・相良長秀 (相良頼房の次男) の次男として生まれる。初名は長房。

元禄元年(1688年)、第3代藩主頼喬(頼福の従兄)が正室の於亀(頼福の姉妹)の間にもうけた頼泰、継室の月仙院との間にもうけた頼真が相次いで早世したため、元禄3年(1690年)4月に頼喬の養子となった。同年7月に将軍徳川綱吉に拝謁し、従五位下・志摩守に叙任される。

元禄16年(1703年)4月、頼喬の死去により家督を継ぐ。

宝永2年(1705年)、前年の大水害を受けて、頼福は上野国利根川武蔵国荒川で改修普請を命じられ、同役の佐竹義格(出羽久保田藩)、松平頼昌松平大膳家[3])、松平近朝(出雲広瀬藩)と共に任にあたり、この功で時服十領を賜る。

藩政においても水害の対策に追われており、財政は厳しかったが、宝永7年(1710年)4月より五木村逆瀬川赤岩谷の銅山の採掘を開始した。

正徳2年(1712年)9月16日、病気を理由に長男の長興に家督を譲り、幕府の許可を得て隠居。正徳4年(1714年)5月には剃髪して梁誠と号した。

享保5年(1720年)3月5日に死去した。享年72(または70)。

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系譜

父母
  • 父:相良長秀
  • 養父:相良頼喬(1641年 - 1703年)
  • 母:鎌田六左衛門の娘
兄弟姉妹
  • 於亀 - 春晴院、相良頼喬正室
  • 於閑 - 万江長矩
  • 庄次郎
  • 於辰 - 万江長矩の養女、米良則信
妻子
  • 正室:於豊 - 養心院、板倉重種の養女、板倉重矩の娘
    • 長男:相良長興(1694年 - 1734年)
    • 次女:於長
    • 次男:相良武慶
    • 三女:於倉
    • 四男:岩次郎
    • 四女:於松
    • 六男:数馬
  • 継室:於積 - 相良頼寛の娘
  • 側室:渋谷氏
  • 生母不明の子女
    • 長女:於満 - 片岡正満
    • 三男:相良栄長
    • 五男:相良長浩
  • 側室:西氏

脚注

参考文献

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