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石井秀吉
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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石井 秀吉(いしい ひでよし、1883年[注 1] - 1941年11月2日[1][2])は、将棋棋士。七段[2]。東京の京橋生まれで深川育ち[2]。川井房郷七段門下[3]。
日本将棋連盟公式サイトの「物故棋士一覧」に名前はないが、佐瀬勇次のページの「師匠」欄や「棋士系統図」[3]においてその名を確認することができる。
経歴
将棋同盟会(後の将棋同盟社、日本将棋連盟の前身の一つ)に付け出し二段で加入し[2]、大正7年(1918年)四段[2]、大正11年(1922年)五段[2]、大正14年(1925年)に六段[2]に昇段した。
弟子
棋戦での活躍よりも、弟子の輩出で知られており、後の将棋界において石井一門の系譜の棋士は極めて多い。日本将棋連盟公式サイトの「棋士系統図」[3]においては、佐瀬勇次のほか、長谷川清二郎、斎藤銀次郎、大和久彪、加藤恵三が弟子として掲示されている。佐瀬は、石井と同様にプロ棋士としての活躍は無かったが、米長邦雄、丸山忠久、高橋道雄、木村一基、西村一義、田丸昇ら多くの優秀な弟子を輩出し、彼らからさらに多くの孫弟子(石井から見れば曾孫弟子)が輩出された。また、斎藤銀次郎の筋では、斎藤の孫弟子(石井から見れば曾孫弟子)にあたる所司和晴が多くの棋士を育てており、「平成の名門」と呼ばれている。
著書
脚注
関連項目
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