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石川千代松

日本の動物学者 ウィキペディアから

石川千代松
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石川 千代松(いしかわ ちよまつ、1860年1月30日万延元年1月8日) - 1935年昭和10年)1月17日[1])は、日本動物学者進化論を日本に紹介したことで知られる。

概要 人物情報, 生誕 ...

1909年には、琵琶湖岸の滋賀県水産試験場の池でコアユの飼育に成功し[2] [リンク切れ]、全国の河川に放流する道を開いた。

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人物

要約
視点

遡って、ドイツ留学から帰国した1889年(明治22年)秋、帝国博物館学芸委員を兼務し、1900年からは天産部長、動物園監督になり、各国と動物を交換して飼育種目を増やした。1907年頃、石川はハーゲンベックから上野動物園にじらふ(きりん)を求め、日本で初めて見られるようにした。後に、列車での輸送許可を得てなかったとされ、解雇された。石川は、「許可は得ていたのに、高額だったから責任をとらされた」と、親族に語った。じらふをきりんと名付けたくだりは、1928年アルス発行『日本児童文庫; 43 動物園』に、「これはじらふという動物です。きりんと名を付けるのは、あるいは当たらないかもしれませんが、あるアメリカ人の書いた漢書にも、そう書いてあったように覚えています」と記されている。

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家族・親族

妻・貞子は箕作麟祥箕作阮甫の孫)の長女である[12]。長女・きよは天文学者寺尾寿の次男で動物学者の寺尾新に嫁した[13]。長男・欣一は、ジャーナリストとなり、父の恩師エドワード・S・モースの『日本その日その日』の翻訳・出版もした。欣一の妻・栄子は渡辺暢・達子夫妻の六女[13]女優東山千栄子は渡辺暢・達子夫妻の次女で栄子の姉すなわち欣一の義姉[13]。達子は寺尾寿の妹なので石川家は寺尾家と二重の姻戚関係で結ばれている[13]。 妹キクは鹿児島県士族の又木某に嫁いだ。その息子の又木亭三は現在の桃山学院学友の野口男三郎(後に猟奇殺人臀肉事件を起こす)を叔父である千代松の家に寄宿させた。孫に南博がいる。

栄典・授章・授賞

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石川千代松
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石川千代松
位階
勲章等

著作物

要約
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(編注)重版・改版は「→」の右に記す。

学術雑誌記事など

  • (1894)「生物ト外界トノ関係」国分行道編『第3回学士会通俗学術講談会筆記』pp.157-181NDLJP:898316
  • (1911)「ホイットマン先生」『動物学雑誌』 23(269) pp.146-150NAID 110003357737(Paid subscription required要購読契約)
  • (1929)「五十年前の日本の動物学」『動物学雑誌』 41(490) pp.349-358NAID 110003333217(Paid subscription required要購読契約)
  • (1931)「日本の動物学に関係ある外国人」『岩波講座 生物学』別項、岩波書店NCID BN0869469X
  • (1934)「進化論が初めて日本に入った頃」『綜合科学』 1(3) - (6)(全集第4巻収録)

単行本

全集

  • 全集刊行会(1935-1936)石川千代松全集刊行会編『石川千代松全集』(全10巻)興文社
(1935)1 黎明期の動物學講話NDLJP:1232325
(1936)2 動物繪物語NDLJP:1789150
(1936)3 進化新論NDLJP:1789960
(1936)4 老科學者の手記NDLJP:1790630
(1936)5 通俗動物講話NDLJP:1791640
(1936)6 外遊日記NDLJP:1793029
(1936)7 人生と社會NDLJP:1793739
(1936)8 人類の過去と現在NDLJP:1794384
(1936)9 性と遺傳NDLJP:1795303
(1936)10 進化遺傳NDLJP:1796067

訳書

論文

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脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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