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石川愛 (陸軍軍人)
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石川 愛(いしかわ あい、1894年〈明治27年〉9月3日 - 1990年〈平成2年〉7月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]。
経歴・人物
埼玉県出身[1][2]。旧制熊谷中学[3]を経て、1915年(大正4年)、陸軍士官学校第27期卒業[1][2]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊付となる[4]。1927年(昭和2年)、陸軍大学校第39期卒業[1][2]。
1937年(昭和12年)8月に陸軍士官学校航空兵科教官を経て、1938年(昭和13年)3月に陸軍航空兵大佐に進級[1][2]。支那事変が勃発すると同年10月に第4飛行団参謀および1939年(昭和14年)1月に第21軍参謀を兼職し、ついで同年5月に第21独立飛行隊長を務めた[1][2]。翌年、1940年(昭和15年)8月に陸軍航空士官学校教授部長を経て、1941年(昭和16年)10月に陸軍少将に進級[1][2]。
大東亜戦争では1942年(昭和17年)7月に第9飛行団長(南方軍、第3航空軍)に任官し、出征した[1][2]。その後は、1944年(昭和19年)1月に陸軍航空士官学校附、同年3月10日に陸軍航空士官学校教授部長を経て、同月28日に陸軍航空士官学校幹事兼同校教授部長に任官[1][2][5][6]。
1945年(昭和20年)3月に陸軍中将に進級し、同年7月に第51航空師団長に任官し、岐阜で本土決戦に備える中、終戦を迎えた[1][2]。
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脚注
参考文献
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