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石渡荘太郎

日本の政治家・大蔵官僚 ウィキペディアから

石渡荘太郎
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石渡 荘太郎(いしわた そうたろう、1891年明治24年〉10月9日 - 1950年昭和25年〉11月4日)は、日本の官僚政治家。位階・勲等は正三位勲一等[1]東京都出身。

概要 生年月日, 出生地 ...
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宮相の身分の時、石渡が発行した禁衛府衛士監の辞令
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人物

旧幕臣で第一次西園寺公望内閣内閣書記官長を務めた石渡敏一の長男[2]

大蔵大臣内閣書記官長宮内大臣などを歴任。近衛文麿の学友であり、税務経済のスペシャリストとして各政権で重用された。

平沼内閣の蔵相時代、外相有田八郎海相米内光政とともに日独伊三国同盟に反対を貫いた。

太平洋戦争終結後、1945年(昭和20年)11月12日から11月15日にかけて行われた昭和天皇による戦争終熄奉告では、宮内大臣として供奉。天皇とともに伊勢神宮神武天皇陵明治天皇陵を巡った[3]。 その後、公職追放中に病を得て死去。 死去当日には喪中御尋として天皇、皇后から夫人に果物が、翌日には天皇、皇后、皇太后から祭粢料を賜った[4]。享年59。墓所は多磨霊園[5]

略歴

司税官、税務監督局事務官、国税課長などを経て、
賀屋興宣青木一男とともに「大蔵省の三羽烏」と謳われたが、内閣調査局に事実上の左遷となる。

栄典

外国勲章佩用允許

著作

  • 『国際二重課税に就いて』日本経済聯盟会〈国際商議関係書類 第36号〉、1929年12月。 NCID BN05814172
  • 『百億予算と百億貯蓄』朝日新聞社、1939年4月。 NCID BA35171626全国書誌番号:44024537
  • 『興亜経済の前途』今日の問題社、1939年7月。 NCID BN08701048全国書誌番号:46052636
  • 『戦時経済と国民の覚悟』日本協会出版部、1939年12月。全国書誌番号:44020746

文献

  • 『石渡荘太郎』石渡荘太郎伝記編纂会編・刊、1954年
  • 『心如水 石渡さんを偲ぶ』鹿喰清一 編、同・刊行会、1982年

出典

外部リンク

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