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石田駿

日本のプロ野球選手 ウィキペディアから

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石田 駿(いしだ しゅん、1997年5月27日 - )は、神奈川県川崎市宮前区出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴

要約
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プロ入り前

小学2年生から野球を始め、中学では軟式のクラブチーム、高津クラブドジャースでプレーした[1]

静清高校では、1年秋の新人戦に出場したが[2]、その後は制球難に苦しみ、公式戦の登板機会が無かった[1]。制球力向上のため、2年秋に横手投げに投球フォームを変更したが、それでもベンチ外が続いた[1]。さらに、3年春には右足首を骨折したため、新人戦以降は公式戦の登板が無く卒業した[1]

九州産業大学進学後も、同学年の福森耀真や1学年後輩の岩田将貴など投手陣を擁し、石田自身も左肘を骨折したこともあり、公式戦では1度も登板機会が無く4年間を過ごした[2]。しかし、4年生になるまでは直球の球速は140km/h程度だったが、4年の夏以降に体の使い方を変え、145km/h以上までアップした[3]。大学卒業後は、知人の紹介でベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)へ挑戦[1]栃木ゴールデンブレーブスに特別合格し、入団した[4]。背番号は15[5]

BCリーグ・栃木時代

2020年、6月26日の茨城アストロプラネッツ戦の8回に、高校1年時以来7年ぶりに公式戦に登板すると、この試合で最速150km/hを記録し、注目された[3][注 1]。その後もリリーフの一角として32試合に登板し、31回で39奪三振、防御率3.48を記録した。

2020年10月26日に行われたドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成1位指名を受け、11月12日に支度金200万円、年俸240万円で入団に合意した[6]。背番号は152[7]

楽天時代

2021年は、イースタン・リーグで13試合に登板したが、防御率11.12で、支配下登録とはならなかった[8]

2022年は、イースタン・リーグで10試合に登板したが、防御率7.00と結果を残せず[9]、10月19日に、翌年の契約を行わないことが通告された[10]

BCリーグ・茨城時代

2022年12月14日、BCリーグの茨城アストロプラネッツへの入団が発表された[11]。BCリーグへは3年ぶりの復帰となる。シーズン開始前には、アリゾナ州のトラベリングチーム「アジアンブリーズ」に参加する[12]2023年、茨城では19試合に登板して1勝2敗の成績だった[13]

BCリーグ・埼玉時代

2023年7月25日、同じリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズへの移籍が発表された[14][15]。埼玉では8試合に登板して勝敗は付かなかった[16]。リーグチャンピオンシップでは2試合に登板し[17]、うち9月17日の対信濃グランセローズ戦では7回から登板して8回に逆転を許す結果で敗戦投手となった[18]グランドチャンピオンシップでも火の国サラマンダーズと対戦した決勝戦に登板した[19]

11月15日の12球団合同トライアウトに参加し、2三振1四球の結果だった[20]

2024年シーズン終了後の9月25日に、任意引退での退団が発表された[21]

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選手としての特徴・人物

サイドスローから最速153km/hの速球が武器。変化球はカットボールカーブスプリットシンカーがある[1]

栃木ゴールデンブレーブスの投手コーチ巽真悟は「球威がプロレベル。千賀石川の球に感じていたが、サイドスローでは似た選手が思い浮かばない」と評する。トレーニングや技術面など巽から教わり、「ここまで成長できたのは巽さんのおかげ」と石田は感謝している[1]

憧れの選手は林昌勇で、動画を見て参考にしている[22]

詳細情報

独立リーグでの投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 2024年シーズン終了時点。

背番号

  • 15(2020年[5]、2023年 - 2024年)
  • 152(2021年[7] - 2022年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク

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