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石風呂良一
日本の野球選手(1923-1985) ウィキペディアから
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石風呂 良一(いしぶろ りょういち、1923年6月27日 - 1985年[3]5月12日)は、広島県[4]出身のプロ野球選手。
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経歴
広島県立忠海中学校卒業後[1][2]、広島県内の運送会社のノンプロチーム(会社名不明)に所属[1][2]。1949年11月に24歳で大阪タイガースへ入団[1][2]。入団から間もない11月16日の対阪急戦(明石)でプロ初登板・初先発[2]。初回から四球連発で痛打を浴び、1アウトもとれずに降板、4失点で敗戦投手となった[2]。「カーブも投げらない者を先発させるとは」と内外から批判され[2]、この先発起用が若林忠志監督退団の切っ掛けといわれる[2]。この後、一軍で登板することはなく、1951年に引退した。このため、石風呂の通算防御率は、算出不可能(無限大)となっている。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板・初先発:1949年11月16日、対阪急ブレーブス戦、(兵庫県立明石公園第一野球場)、0回4失点で敗戦投手
背番号
- 34 (1949年)
- 32 (1950年 - 1951年)
脚注
関連項目
外部リンク
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