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磐根神社 (栃木市)
日本の栃木県栃木市都賀町合戦場にある神社 ウィキペディアから
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磐根神社(いわねじんじゃ)は、栃木県栃木市都賀町合戦場にある神社。近代社格制度による旧社格は村社[2]。
歴史
慶長元年9月19日(1596年11月9日)に、神祇伯の白川雅朝王が勧請し、土地の守護神としたのが始まりである[3]。その後、社殿が破砕したが、安政6年(1859年)に中島市兵衛らが発起人となり再建に着手し、2年後に社殿が完成した[1]。江戸時代には、星宮大権現・虚空蔵様などと呼ばれたが、神仏分離によって社名が磐根神社となった[1]。
祭神
- 主祭神[2]
- 配神[2]
- 境内社[2]
- 琴平神社
- 稲荷神社
- 白鳥神社[4]
磐裂命・根裂命(イワサク・ネサク)は、イザナギがカグツチを刺殺した際に、十拳剣に付いた血から生まれたとされ、岩や木の根を裂く雷神としての信仰がある[5]。栃木市都賀町は、イワサク・ネサクを祀る神社が多く、日光修験の影響によるものと考えられている[6]。磐根神社は当社のほかにもう1社栃木県内にあるが、両社とも都賀町に所在する[5]。また、都賀町の星宮神社はイワサク・ネサクを主祭神とする例が多く、都賀町家中の磐裂根裂神社は星宮神社とも呼ばれる[5]。当社も明治時代以前は星宮大権現と称したことがあり、鎮座地の小字は星の宮である[1]。
境内
社地は1,963.4坪(≒6,490.6 m2)で、本殿は権現造2間(≒3.6 m)四方、瓦葺きの素木塗りである[6]。同じ造りで1間(≒1.8 m)×2間の幣殿、2.5間(≒4.5 m)四方の拝殿、石造の神明鳥居、手水舎、石灯籠がある[7]。石鳥居は宝暦10年(1760年)、常夜灯は文政8年(1825年)のものである[4]。特に文化財指定を受けているものはないが、拝殿の鬼瓦や胴羽目の彫刻は文化財としての価値を有する[4]。
境内に白鳥神社がある[4]。本来は都賀町合戦場751番地にあった神社である[8][4]が、当社境内に移転した[4]。旧社格は無格社で、日本武尊を祀る[8]。移転前は拝殿を持たない、2間四方のトタン葺きの社殿のみの神社であった[9]。
- 鳥居
- 本殿
- 琴平神社
祭事
『都賀町史』では、春の例祭が4月29日、秋の例祭が10月29日と記載されている[3][10]が、2023年(令和5年)現在は10月29日のみが例祭で、4月29日は祈年祭とされている[1]。近代には学校の祭日とされ、学童が参拝した[3]。秋の例祭では演芸が披露される[10]。
このほか、毎月1日と15日の月次祭や、歳旦祭(1月1日)、節分祭(2月3日)、八坂祭(7月13日以降の日曜日)、新嘗祭(11月29日)、大祓式(12月31日)がある[1]。
脚注
参考文献
関連項目
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