トップQs
タイムライン
チャット
視点
磯野富士子
日本の評論家 ウィキペディアから
Remove ads
磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 2008年1月5日[1])は、日本のモンゴル研究家、翻訳家。
来歴
広島県生まれ。日本女子大学附属高等女学校卒業[2]。日本女子大学校英文科卒業。磯野誠一と結婚、1943年誠一とともにモンゴルに行き、西北研究所の所員となる。
戦後帰国、『冬のモンゴル』を刊行。1961年「再び主婦労働について」を発表し、第二次主婦論争の口火を切る。 1966年『オルドス口碑集』の翻訳を出版、パリのラティモア-モンゴル学研究所主任研究員となる。
係累
父は海軍技術少将穂積律之助、伯父に東大教授穂積重遠と叔父に京城電気取締役穂積真六郎。祖父東大教授穂積陳重、祖母歌子は渋沢栄一の長女であり[3]、父の律之助は栄一の2番目の孫であった
著書
翻訳
- 『木蔭の家』(オルコット、中央公論社) 1949年
- 『若草物語 第3部』(オルコット、法政大学出版局) 1950年
- 『オルドス口碑集 モンゴルの民間伝承』(A・モスタールト、平凡社東洋文庫) 1966年
- 『モンゴル 遊牧民と人民委員』(オウエン・ラティモア、岩波書店) 1966年、復刊 1985年
- 『ハーバート・ノーマン全集 第1巻』(大窪愿二編訳、岩波書店) 1989年 - 増補版担当
- 『中国と私』(ラティモア、編訳、みすず書房) 1992年
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads