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神送りの儀式
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神送りの儀式(かみおくりのぎしき)は、大相撲における祭事。千秋楽の表彰式終了後に行われる。
大相撲では本場所初日の前日に土俵祭を行い、土俵に神を降ろし場所の無事を祈る。千秋楽ですべての行事が終了すると、土俵に降りていた神を天にお帰しする。そのための儀式が「神送りの儀式」である。神送りは結界を解く儀式であり、神迎えをする「土俵祭」と対になる行事である[1]。
「神送りの儀式」に先立って、本場所の無事終了と、その場所の前相撲を取り翌場所から番付に四股名が載る力士(出世力士)を祝う出世力士手打式(しゅっせりきしてうちしき)が行われる。「神送りの儀式」と「出世力士手打式」は本来別の行事であるが、一連の流れで続けて行われるため本記事ではまとめて扱う。
歴史
今日の大相撲では千秋楽の取組表の式次第に「出世力士手打式」「神送りの儀式」が記載されているが、現行の形で両行事が毎場所実施されるようになったのは2004年(平成16年)5月場所、取組表への記載が始まったのは同年9月場所からである。手打式や胴上げはそれ以前から行っていた記録があるが、1957年(昭和32年)に胴上げされた親方が落下するハプニングがあり[1]、以後2004年までの間に儀式を行ったり行わなかったりという状態が長く続いていた。相撲教習所の教官を務めていた大山親方(元幕内・大飛)は相撲教習所の相撲史担当講師・桜井徳太郎と相談し、お迎えした神をちゃんとお帰ししなければ神事にならない、として儀式の実施を日本相撲協会の理事たちに強く訴え、両行事の手順を整備した[2][注釈 1]。
参加者
その場所の出世力士、審判委員、若者頭、行司であり、呼出(原則として立呼出し)が世話役として働く。参加人数に決まりはなく、場所によって参加人数は大きく変動する。千秋楽の観客が儀式を見守る。
式の流れ
要約
視点
現在の大相撲においては、本場所千秋楽、表彰式の終了後に行われる。18時以降となることが多いため、NHKの大相撲中継では基本的には放送されないが、2020年(令和2年)3月場所では、新型コロナウイルスによる影響で無観客となり、表彰式も賜杯と内閣総理大臣杯、三賞の授与のみになったため、取り組みや式典が早く終了したことから出世力士手打式と神送りの儀式も併せて放送された[3][4]。
- 呼出が2基の水桶上部の蓋を閉めて板状にし、その上にお神酒の入った瓶子(徳利)2本と杯(かわらけ)を置く。行司部屋から持ってきた御幣1本をこの桶に立てる。
- 参列者は西の花道から進み、土俵に上がる。水桶と行司(序ノ口格か序二段格)を起点に両側に円形に並ぶ。並ぶ順序の決まりはなく、若者頭がその場の雰囲気を見て指示する。
- 参列者が並び終わるころ、呼出は二手に分かれてそれぞれお神酒を回す準備をする。お神酒を行司に注ぐ前に、徳利のお神酒をほんの少し混ぜ合わせる。
- お神酒を混ぜ合わせるのは、易の「陰陽和順の理」(陰と陽が調和して平穏を維持する)を象徴しているのではないかと考察されている[5]。
- 行司は右手を左手の上にし、両手を交差した状態で両手にかわらけを持ち、それに呼出がお神酒を注ぐ。
- 行司は最初に右手のお神酒を口にし、そのかわらけを呼出に返す。次いで左手のお神酒を口にし、呼出に返す。
- 呼出は左右の最初の出世力士にかわらけを渡し、お神酒を注ぐ。出世力士はお神酒を口にする。
- 2020年3月場所では新型コロナウイルス感染防止のため、行司だけがお神酒を口に持っていった(口を近づけるだけでお神酒は飲まなかった。)。他の参列者にはかわらけが回らなかった[6]。
- 参列者全員にお神酒を注ぎ終えると、呼出は水桶に戻る。呼出の音頭で参列者・土俵下で控える関係者や観客も含めて三本締め(手打式)を行う。
- 三本締めが終わると、呼出は桶を片付けて土俵を下り、桶の前にいた行司も土俵を下りる。土俵下に控えていた行司(土俵祭に参加した十両格)が桶に立ててあった御幣を受け取り、土俵に上がり幣を胸の前あたりに抱く。
- 出世力士が行司を3度胴上げする(神送り)。出世力士の数が少ない場合は呼出・審判委員・若者頭も加わる。
- 現行では胴上げされるのは行司であるが、2004年5月場所で胴上げされたのは審判委員の君ヶ濱(元関脇・北瀬海)であった[7]。過去の儀式でも胴上げされるのは審判委員である。なぜ行司が胴上げされることになったかは、大山は「親方衆は重いからです。」[8]とし、33代木村庄之助はある審判委員から「土俵祭りの祭主は行司さんだろう。行司さんを胴上げしなければおかしいじゃないか」と言われ反論したものの聞いてもらえなかったとしている[9]。行司会での協議の末、土俵祭に参加した行司の中で一番格下の者が胴上げされることになった。33代庄之助は「一番格下というのがミソです。私だって嫌ですから……」[10]としている[注釈 2]。ただ2004年以前にも行司が胴上げされた事例はあり、36代庄之助は自身が序ノ口か序二段格の時に胴上げされた経験があるとして「1度で懲り懲りですね。これから力士になる若者といっても、力は十二分に強い。胴上げする力の加減などはわからないので彼らの腕力で装束が破れてしまうんですよ。」と語っている[11]。2004年7月場所で行司として現行制度下で初めて胴上げされたのは当時十両格であった木村元基である[12]。
- 胴上げが終わると儀式は終了し、参列者は西の花道に下がる。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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