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三賞
大相撲で優秀な力士に贈られる3種の賞 ウィキペディアから
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三賞(さんしょう)とは、一般には各業界における三種類の賞の総称を指す。

概要
戦後の混乱期に直面した相撲の発展を促進するため、1947年(昭和22年)秋場所前、記者倶楽部会合の席上で、東京新聞の原三郎が提案したものが協会幹部に認められ導入となった。 殊勲賞(しゅくんしょう)・敢闘賞(かんとうしょう)・技能賞(ぎのうしょう)の3つが当初から制定された。1947年(昭和22年)11月場所から実施され、第1号の受賞者は殊勲・出羽錦忠雄、敢闘・輝昇勝彦、技能・増位山大志郎である[1]。
当初は、各賞1名ずつが原則であったが、1949年10月場所に鏡里が殊勲・敢闘の両賞を受賞、1957年10月場所には初めて技能賞に該当者なしが出現、さらに1971年11月場所には敢闘賞が輪島・富士櫻の2人受賞、1973年7月場所には大受が全賞受賞、1996年1月場所には敢闘賞が貴闘力・剣晃・玉春日の3人受賞、一方2018年9月場所では三賞いずれも該当者なしと、受賞の様態は時代に沿って変化を見せている。
かつては巡業においても稽古報奨金としての三賞制度が存在しており、実際に1995年春巡業から「巡業三賞」が設けられた。関脇以下の力士を対象に最優秀賞(30万円)精勤賞(20万円)努力賞(10万円)が規定されていたが、1997年夏巡業からは優秀賞のみに改定され、1999年春巡業からは企業がスポンサーとなり、2001年冬巡業を最後に廃止された[2]。
なお、これから派生して他の大会でも殊勲・敢闘・技能の三賞を設けることがある[注釈 1]。
三賞受賞力士の表彰式は優勝力士の表彰後に行われる。
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三賞の内容
要約
視点
協会の定める三賞選考委員会内規第8項により定められる。
殊勲賞
横綱・大関から白星を挙げた力士や優勝に関わる白星を挙げた力士に与えられる。仮に優勝した力士が14勝1敗の成績だったとすると、優勝力士に唯一の土を付けた力士が評価されて受賞対象となることもある。例として、2008年5月場所で大関・琴欧洲が14勝1敗で初優勝を果たしたが、その琴欧洲に唯一の黒星を付けた安美錦が殊勲賞を受賞している。2009年から2013年頃にかけては朝青龍・白鵬と強い横綱の活躍が続いていたことから金星を獲得できる力士が少ないこと、金星を得ることができても勝ち越しを収められるまでには至らないこと、横綱と大関との力の差が開いて大関に勝った星の価値が下がっていることなどから、該当者なしの場所が多くなっていた。2009年は史上初めて年6場所通じて該当者が出なかった[注釈 2]。また、関脇以下の力士が優勝した場合にも受賞することがある。
1992年5月場所の曙の場合は大関・横綱戦未勝利での受賞となったが、これはまだ三賞の該当基準が確立されていなかった1947年11月場所の出羽錦以来となる珍事であった[3]。
後に横綱・大関に昇進する力士が平幕・三役時代に受賞を経験することが多いが、第74代横綱豊昇龍は対横綱戦での勝利経験がないため、殊勲賞は受賞したことがない。
相撲以外にも「殊勲賞」という言葉は使われる。
敢闘賞
敢闘精神旺盛な力士に与えられる。「敢闘精神」の定義は広く解釈されていて、殊勲賞にも、技能賞にも該当させにくい好成績を挙げた力士(例えば関脇以下での優勝や優勝同点、そうでなくても最終盤まで優勝争いに絡んだ場合)、新進力士やベテラン力士に対する奨励の意味で与えられることもある。三賞の中でも最も幅広く受賞者が出ている。作家の喜多哲士は自身のウェブサイトの1コーナー「大相撲小言場所」で2020年1月場所の感想として「霧馬山の敢闘賞に異論はないけれど、新入幕で二桁勝てば自動的に敢闘賞というような選び方はいかがなものか」と意見していた[4]。
2023年7月場所は、6人の候補者が挙げられ、2人が無条件、4人が千秋楽の勝利が条件とされていたが4人とも勝利したことにより、史上初となる1場所で6人同時受賞となった[5]。
技能賞
技能が特に優秀な力士に与えられる。決まり手の数が豊富な力士や奇手を繰り出す力士が受賞する傾向が強く、この賞を与えられることは、幕内で個性派として認められる証だとされる。そのため同じ力士が何度も受賞する場合が多い。一方で、寄り、押し、立合いなどの基本の型に忠実である力士に与えられることもあり、がぶり一辺倒の取り口で知られた荒勢はただ1回とはいえ「がぶりも技術の一つである」と一芸が認められる形で1977年9月場所に技能賞を獲得している。その一方で、「潜航艇」と呼ばれた岩風や、サーカス相撲で知られた栃赤城は、三役に定着する実力を持ち充分個性派として土俵を湧かせた力士でありながら一度も受賞していない。2013年1月場所から2016年3月場所にかけて受賞が極端に少なくなっており、この間の20場所でわずか5度(4人)のみであった。2021年1月場所は、3人の候補者が挙げられ、いずれも千秋楽の勝利が条件とされていたが3人とも勝利したことにより、史上初となる1場所で3人同時受賞となった。[6]。
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三賞選考委員会
三賞選考委員会は千秋楽の幕内取組前に(通例午後1時から)記者クラブで行われる。
委員は日本相撲協会の審判委員と維持員、記者の中から理事長が委嘱し、任期は1年、定員は45人以内である(三賞選考委員会内規第1~3項)。各出席者が三賞にふさわしい力士を推薦し、討議の末、出席者の過半数の賛成を得られれば受賞が決定する(三賞選考委員会内規第6項)。また、選考の結果各賞に該当者が見当たらない場合は賞を選出しないことができる(三賞選考委員会内規第9項)。1989年5月場所までは、三賞選考委員会に先立って14日目の取組前に「三賞選考予備会」が行われ、三賞候補をあらかじめ挙げたうえで千秋楽に選考委員会を開いていた。
受賞には勝ち越しが前提条件であり、その上で何より相撲内容が審査される。勝星数の優劣は副次的な評価に留まるため、8勝7敗で受賞した力士も多数存在する。一方、近年は10勝しても受賞できない[7][注釈 3]ケースが多い。
選考に際し、「千秋楽の取組に勝った場合」などの条件付きになることもある。特に前述の「勝ち越しが絶対条件」により、三賞受賞候補者の千秋楽の取組前の成績が7勝7敗の場合は必ず「勝てば受賞」という条件付となる。また、三賞受賞候補者同士の対戦が千秋楽に組まれている場合には両者とも勝てば受賞という条件付として実質的な三賞決定戦という形となったこともある。
なお皆勤は要件として規定されていないが、途中休場力士の受賞例は長らくなかった。2015年3月場所では勝ち越し後の11日目より休場し8勝3敗4休の安美錦が技能賞の候補にあがったが、投票の末見送られ、この場所は技能賞なしとなった。2019年1月場所では8勝4敗3休(安美錦の例とは異なり、再出場して勝ち越し)の御嶽海が殊勲賞を獲得した。
黒姫山は、白星数を評価しない三賞選考基準を見直すべきだと協会定年退職後に意見しており[8]、三賞に見合うだけの活躍力士3人を先に決定してからその後に殊勲賞、敢闘賞、技能賞のそれぞれの賞に当てはめるやり方にすべきではと話していた[9]。二桁勝利を挙げた新入幕力士は1975年11月場所の青葉山以降必ず三賞を受賞してきたが、2007年から2011年にかけては10勝では受賞できず、11勝以上が条件とされることが多くなっていた[注釈 4]。
賞金
2019年1月場所現在の賞金額は、各賞それぞれ200万円である。1人が複数の賞を受賞(後述)した場合は、ダブル受賞であれば400万円、トリプル受賞であれば600万円が支給される。また、1つの賞に複数の力士が選ばれることもあるが、この場合も各力士それぞれに200万円が支給される。
主な記録
要約
視点
- 最多三賞受賞数 安芸乃島勝巳 19回(殊勲賞7回、敢闘賞8回、技能賞4回)
- 三賞最年少受賞 貴乃花光司 18歳3か月(平成3年3月場所)
- 三賞最年長受賞 玉鷲一朗 40歳8か月(令和7年7月場所)
- 初三賞受賞最速場所数 伯桜鵬哲也 4場所(令和5年7月場所)
- 初三賞受賞スロー場所数 錦木徹也 103場所(令和5年7月場所)
- 最多三賞受賞人数 7人(延べ8人)(殊勲賞1人、敢闘賞6人、技能賞1人)(令和5年7月場所)
平成の受賞
令和の受賞
三賞受賞回数
2025年3月場所終了現在
三賞トリプル受賞
1場所で殊勲賞・敢闘賞・技能賞の全てを受賞した力士はこれまでに6人いる。このうち、貴花田、出島、尊富士は同時に幕内最高優勝も果たしている。琴光喜はトリプル受賞の翌年の2001年9月場所に幕内最高優勝を経験しているが、この時は殊勲賞と技能賞のダブル受賞にとどまった。
三賞トリプル受賞は、その場所に三賞を受賞した力士が1人だけとなった場合は「三賞独占」とも言われる。
選考の傾向としては、一つの賞ごとに独立して力士を選ぶ、というより他の受賞力士との兼ね合いから決まることも多い。例えば最も活躍したAと次点のBがいた場合、一賞ごとに選ぶと全部Aが受賞してしまう可能性が濃いが、全体のバランスを考慮して敢闘賞だけはBを選ぶということである。このため、よほどの大活躍をしない限りトリプル受賞は難しい。
- ◎は優勝。
大関陥落力士の三賞受賞
1969年7月場所に「大関の地位で2場所連続で負け越した場合、関脇へ降格する。しかし降格した直後場所で、関脇の地位で10勝以上の勝ち星を挙げれば、特例として大関に復帰できる」という現行の制度ができて以降、大関を陥落した力士が三賞を受賞した記録は以下の通りである。なお、降格直後場所に関脇で三賞を受賞した力士は、10勝以上して大関特例復帰に成功した7例(三重ノ海・貴ノ浪・武双山・栃ノ心・貴景勝と、栃東は2度復帰)も含めてまだ出ていない。ただし、2019年9月場所において貴景勝が関脇に降格し10勝を挙げ、さらに12勝で優勝をした御嶽海と優勝決定戦に臨んだことから技能賞の候補にあがったが、先場所は大関の地位にいたことで受賞は見送られている[10]。
- ◎は優勝。○は優勝同点。
- 魁傑は1977年3月場所で大関へ復帰。
- 照ノ富士は2021年5月場所で大関へ復帰。
全三賞該当者無し(三賞受賞者ゼロ)の場所
2018年9月場所において、三賞制度制定以来初めて、三賞“全て該当者なし(受賞者ゼロ)”の事例となった。敢闘賞候補に竜電・貴景勝、技能賞候補には嘉風の名前が挙がったものの、選考委員の過半数の賛成が得られなかったことによる[11][12]。この場所は3横綱3大関が全員皆勤し9勝以上、関脇・小結も玉鷲を除いた全員が勝ち越しのハイレベルな成績で、関脇以下の最高成績は嘉風の11勝にとどまっている。
また、それ以前にも以下の事例であわや全三賞該当者なしになりかけていた。いずれも候補力士が千秋楽の取組で勝利し全三賞該当者無しは免れている。
1994年11月場所は、千秋楽の幕内取組前の時点で三賞受賞が決定した力士が一人もいない事態となり、この場所再入幕の浪乃花が千秋楽の取組で勝利し10勝すれば、敢闘賞という条件付きだった。
また、2013年3月場所は、千秋楽の幕内取組前の時点で三賞受賞が決定した力士が一人もいない事態となり、この場所白鵬の優勝が決定する13日目まで優勝争いに絡んだ隠岐の海が千秋楽の取組で勝利し11勝すれば敢闘賞、横綱・日馬富士を破った金星のほかに2大関を破った銀星が評価された豊ノ島が千秋楽の取組で勝利し勝ち越せば殊勲賞という条件付きだった。結果隠岐の海は勝って受賞し、豊ノ島は負けて逃した。
他力条件付きの受賞
1996年1月場所千秋楽の三賞選考会で、当該力士以外の力士の結果も加えて受賞条件とするという事例が起こった。剣晃は優勝を争っている大関の貴ノ浪に勝利していたが、7勝7敗で千秋楽を迎えていた。選考会でこの剣晃について、九重親方が「優勝力士に土をつけた力士に何もあげないのはおかしい」と唱え、次の条件付きで剣晃に敢闘賞を授与すると決定した。まず剣晃が千秋楽に勝って勝ち越すこと。そして、貴ノ浪が優勝した場合に限って敢闘賞を剣晃に授与するとなった。結果、剣晃は千秋楽に勝ち越しを決め、貴ノ浪も貴乃花との優勝決定戦を制して優勝し、剣晃は敢闘賞を受賞した。このような他力条件付きの受賞は史上初めてであった。その後長らくこのような条件での受賞は無かったが、2019年7月場所で当時大関から陥落していた琴奨菊がこの場所優勝争いをしていた白鵬に勝利しており、7勝7敗で迎えた千秋楽で琴奨菊が勝利して勝ち越し、なおかつ白鵬が優勝した場合殊勲賞を受賞という前例の剣晃と全く同じ条件となった。しかし琴奨菊は対戦相手の阿炎の立ち会い変化で敗れてしまい受賞を逃す結果となった(ちなみに白鵬もその後結びで鶴竜に敗れた)[13]。
途中休場がある力士の受賞
2019年1月場所で、2横綱(稀勢の里・鶴竜)および同場所を制する関脇・玉鷲を下した後に途中休場し、再出場後に残りの横綱・白鵬を下したうえ勝ち越した小結・御嶽海が、皆勤できなかった力士としては初めて受賞(殊勲賞)した。
千秋楽不戦勝で条件を達成した力士の受賞
2022年7月場所で、錦富士に「千秋楽に北勝富士に勝って10勝を達成すれば敢闘賞受賞」という条件が付けられたが、千秋楽に北勝富士は新型コロナウイルス感染により休場したため不戦勝。千秋楽不戦勝で受賞条件を達成した事例は異例中の異例[14]。
成績によって授与される賞が確定
2019年9月場所では、千秋楽まで優勝の可能性を残した関脇・御嶽海に対して「優勝すれば殊勲賞受賞、優勝できなければ敢闘賞受賞」と、三賞1つということは変わらないが、授与される賞が成績によって変わる決定がなされた[15]。この場所は14日目が終わった時点で御嶽海含む11勝3敗の3人に優勝の可能性が残り、このうち関脇・貴景勝(三賞なし)と平幕・隠岐の海(敢闘賞は無条件、殊勲賞は優勝すれば受賞)が3敗同士の直接対決のため、御嶽海が優勝できるのは本割、優勝決定戦を連勝する場合に限られ、どちらかで敗れた場合は優勝できないため[16]、敢闘賞受賞は千秋楽に敗れることが事実上の条件となった。結果、御嶽海は優勝したため[17]殊勲賞受賞となった。
最多受賞人数記録
2023年7月場所においては、錦木の殊勲賞、伯桜鵬の敢闘賞と技能賞の二冠と北勝富士の敢闘賞は無条件で確定。さらに千秋楽の取り組みに勝てばという前提で、豊昇龍、琴ノ若、豪ノ山、湘南乃海の最大4人を敢闘賞に追加するとしたが、千秋楽で当該4人全員が勝利を収めたため、7人(延8人、伯桜鵬は二冠)が三賞を受賞した。それまでの最多は5人(1998年5月場所、2020年1月場所)である[18]。
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脚注
参考文献
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