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福井資明
日本の棋士 (1888-1972) ウィキペディアから
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福井 資明(ふくい すけあき、1888年〈明治21年〉2月19日 - 1972年〈昭和47年〉4月14日)[1][2]は、日本の将棋棋士[注釈 1]。青森県弘前市出身。関根金次郎十三世名人門下[4][注釈 1]。
北海道での将棋の普及活動や後進育成に尽力し、福井と師弟関係にあった棋士はいないが、のちに福井の弟弟子となる五十嵐豊一や、同じく福井の兄弟弟子である渡辺東一門下となる勝浦修の発掘に貢献している[5]。
昭和40年代の将棋名鑑では「地方棋士」として掲載されている。死没後の2006年に九段位を追贈された[6][7][注釈 1]。
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経歴
1888年(明治21年)、津軽藩御用菓子司の弘前市の老舗「大阪屋」に生まれる[6]。
幼少の頃、青森の杉野六段に将棋道の手解きを受け[8]、その後旭川市に移り家業を手伝いながら将棋に打ち込んだ[2]。
1917年(大正6年)に三段、1922年(大正11年)四段、1923年(大正12年)五段[8]。
1926年(大正15年)に火災に遭い[2]、これを機に同年5月頃に千葉市に住む関根金次郎名人に師事し[8]棋士生活に入り、千葉で将棋道場を開く[2]。
1931年(昭和6年)、北海道大学の教授たちからの強い要請により、師匠の関根名人の推薦を受けて北海道へ移住する[2]。
1941年(昭和16年)に将棋大成会北海道支部[注釈 2]を設立するなど、北海道での将棋の普及活動に尽力する。
1950年(昭和25年)4月、八段へ昇段する。
1961年(昭和36年)5月、札幌で行われた第20期名人戦第3局で正立会人を務める[9]。
1967年(昭和42年)10月8日、北海道将棋会館落成式[10]。会館建設に福井が尽力し、建設後には会館維持を目的として北海道将棋連盟設立[11]。
1972年(昭和47年)4月14日、死去[2][12][13]。享年84歳。
2006年(平成18年)11月17日付で日本将棋連盟より九段位が追贈された[14][注釈 1]。これに関して、東奥日報の当初の記事[15] では『全国初の九段位を追贈』とし、東奥日報の後の記事[6]では「プロ九段位」、社団法人北海道将棋連盟サイト[16]では『晴れて正式のプロ棋士として認められ』とする記事内容になっている。
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昇段履歴
関連項目
脚注
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