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戦時買収私鉄

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戦時買収私鉄(せんじばいしゅうしてつ)とは、1941年昭和16年)に公布された改正陸運統制令によって、1943年(昭和18年)度、1944年(昭和19年)度に国有化された日本民間鉄道会社22社を指す。

概説

要約
視点

1906年明治39年)に施行された鉄道国有法以降、数多くの私鉄が国有化されたが、これらの路線は主として鉄道敷設法に規定する予定線であることが多かった。しかし、改正陸運統制令に基づく戦時買収は、大東亜戦争太平洋戦争)完遂のための軍事目的を前面に押し出したもので、当時の国家総動員法などに基く強制的なものであった。

その方法は、突然買収対象となった私鉄会社の関係者が電報一本で呼び出され、行った先で有無を言わせず書類に押印を強要するといったもので、押さなければ国家総動員法により処罰されるばかりか、「非国民」扱いされるために従わざるを得なかったというものである。

買収代金の支払いは戦時公債によって行われたため、実質的には換金不可能であった。また、買収路線は戦争終了後には(建前では)元の会社に戻すことが条件づけられていたため、会社を解散することは禁止されていた(ただし、事業が継続できなくなったために休眠会社となった後に事実上解散した会社はある)。買収は鉄道施設のみであり、必ずしも全ての路線や付帯事業が買収された訳ではなかったため、相模鉄道のように他の路線の営業を継続したり、中国鉄道(現:中鉄バス)や鶴見臨港鉄道(現:東亜リアルエステート)のように、バス部門や不動産業などの営業を継続し、現存している会社もある。

そのため戦後、一部の被買収会社から買収路線の払下げ要求が出されたことがあったが、国鉄時代は一つとして実現されなかった。これは、日本国有鉄道(国鉄)発足直前の1949年(昭和24年)と発足後の1951年(昭和26年)に鉄道払下げ法案が国会に提出されたものの、いずれも審議未了で廃案になったことや、買収された私鉄の多くが産業用鉄道であり、財閥との資本関係が強いものであったため、財閥解体などを推し進める連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の方針に反するものであったからであるといわれている。また、支払われた戦時公債による買収代金は戦後のインフレーションによって価値を失い、実質的に買い戻しが困難な状況でもあった。更に沿線住民が国鉄路線のままにすることを望んだほか、ほとんどの路線が赤字路線であったため被買収会社としても引き受けるメリットがなくなった事情があった。その後も、相模線については返還に向けた動きはあったものの、相模鉄道と国鉄との交渉がまとまらなかったことや、当時赤字路線であったことなどから実現には至らなかった[1]

2020年(令和2年)現在、戦時買収路線で被買収会社の元に戻った例は、富山地方鉄道富山港線(旧富岩線)のみである。こちらはライトレール化に伴いJR西日本から第三セクター富山ライトレールに転換し、後に富山駅での南北連絡に伴い富山地方鉄道富山軌道線と一元運営されることとなったため、その前段階として運営会社の合併が成立したものである。ただし、富山港線はライトレール化にあたって一部区間を新設した併用軌道に付け替えているため、厳密には買収当時の路線が全て復した訳ではない。

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買収路線一覧

さらに見る 買収年月日, 会社名 ...
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脚注

参考文献

参考項目

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