トップQs
タイムライン
チャット
視点
秋月種封
日本の江戸時代前期~中期の武士。日向高鍋藩3代藩主秋月種信三男で、旗本秋月氏初代当主(日向木脇領3000石知行) ウィキペディアから
Remove ads
秋月 種封(あきづき たねくに)は、江戸時代前期の旗本寄合。高鍋藩主家分家で木脇領主の旗本寄合席秋月家の初代当主。
生涯
秋月種信の三男として出生。延宝5年(1678年)12月12日に徳川綱吉に初御目見を済ます。武鑑では藩主二男、または舎弟として掲載されており、元禄元年(1688年)の本朝武鑑では秋月佐渡守と共に「御二男 十三郎」との記載がある。
元禄2年(1689年)2月末日、父の種信が隠居して兄の種政が高鍋藩主の家督を相続する際に、父の封地より木脇村(現在の国富町)を始め日向国諸県郡、宮崎郡内3,000石を分封され、旗本寄合席となる。
宝永2年(1705年)刊行の御林武鑑でも、秋月長門守(種政)の御弟として「秋月式部種乗」の記載がある。
宝永6年(1709年)、48歳で没する。法名は円成院覚厳宗本居士[2]。墓所は下谷広徳寺の梅雲院で、後に代々の葬地となる。
長男の民部は早世していたために没後、次男の種羽が跡を継いだ。
系譜
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads