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秋草篤二

日本の実業家 (1909-2001) ウィキペディアから

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秋草 篤二(あきくさ とくじ、1909年明治42年〉7月7日[1][2] - 2001年平成13年〉11月22日[1][2])は、日本逓信官僚実業家日本電信電話公社総裁。

経歴

群馬県山田郡矢場川村(現・栃木県足利市)に生まれる[3]。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を経て[3]1934年昭和9年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業[3][1]。卒業後、日本無線電信に入る[3][1][2]

戦後逓信省に入り、1947年(昭和22年)総務局監理課長[3]1949年(昭和24年)AT&T留学[1][2]電気通信省経理局会計課長[3]となる。1952年(昭和27年)日本電信電話公社が発足すると同社に移り、資材部長、経理局長、理事、総務理事を経て[3][1]1965年(昭和40年)副総裁[3][1][2]1977年(昭和52年)に第4代日本電信電話公社総裁に就任した[3][1][2]

一部では手法が独裁的であったとの評価もあるが、在任中は、「改良第6次5ヵ年計画」を実施。加入電話の積滞解消や全国自動即時化、自動車電話サービス(現在は、NTTドコモが継承)開始などサービス向上に努めた。1980年(昭和55年)に同社内の不正経理事件が発覚したため12月10日、山内一郎郵政大臣に辞表を提出して辞職した[3]

1983年(昭和58年)11月に勲一等瑞宝章を受章。富士通株式会社元社長・秋草直之の実父。

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出典

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