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群馬県立太田高等学校
群馬県太田市にある高等学校 ウィキペディアから
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群馬県立太田高等学校(ぐんまけんりつ おおたこうとうがっこう)は、群馬県太田市西本町にある県立高等学校。
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概観
略称は「太高」(たこう・たたか)。職員やOBの一部は「たこう」と称しているが、近接する群馬県立太田工業高等学校(太工)と区別するため生徒のほとんどは「たたか」と略す。
かつては男女共学の定時制課程が設置されていたが、平成19年度卒業生をもって定時制は廃止。現在、全日制は1学年7学級、定員は280名。制服は一般的な詰め襟の学生服に校章の書かれたボタンと襟にOHSと書かれたバッジをつける。
同窓会は「金山(きんざん)同窓会」と称する。
構内に「稲荷山古墳」と呼ばれる古墳がある[1]。
学科
- 全日制課程
- 普通科
沿革
- 1897年(明治30年) - 群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)新田分校として、新田郡太田町(現・太田市)長念寺の仮校舎で開校。
- 1898年(明治31年) - 新校舎落成、現在地(太田市西本町)へ移転。
- 1900年(明治33年) - 群馬県太田中学校と改称、独立。
- 1900年(明治33年) - 運動会発足(1905年に校友会に改称)。
- 1901年(明治34年) - 邑楽郡館林町(現・館林市)に邑楽分校(現・群馬県立館林高等学校)を設置、群馬県立太田中学校と改称。
- 1902年(明治33年) - 同窓会発足
- 1904年(明治37年) - 校歌制定(土井晩翠 作歌・楠美恩三郎 作曲)。
- 1912年(明治45年) - 邑楽分校廃止。
- 1948年(昭和23年) - 群馬県立太田高等学校と改称、定時制を開校し、本校および木崎分校(新田郡木崎町/現・太田市)設置。
- 1950年(昭和25年) - 邑楽郡大川村(現・邑楽郡大泉町)に定時制大川分校を設置。
- 1957年(昭和32年) - 大川分校を大泉分校と改称、創立六十周年記念式典を挙行。
- 1961年(昭和36年) - 木崎分校廃止。
- 1983年(昭和58年) - 大泉分校廃止。
- 1987年(昭和62年) - 創立九十周年記念式典を挙行、「太田高校九十年史」刊行。
- 1997年(平成9年) - 創立百周年記念式典を挙行、記念講演に石原信雄を招待、記念誌「金山麓 やまざる流れ」および「学校歌集」刊行。
- 1998年(平成10年) -定時制課程創立五十周年。記念講演に柳家せん八、10代目翁家さん馬を招待。
- 2007年(平成19年) - 創立百十周年記念式典を挙行、記念講演に宮崎緑を招待。
- 2007年(平成19年) - 普通教室にエアコン設置。
- 2008年(平成20年) - 定時制を廃止。
- 2008年(平成20年) - 創立百十一周年記念式典を挙行、記念講演に宮永博史を招待。
- 2009年(平成21年) - 創立百十二周年記念式典を挙行、記念講演に大澤正明を招待。
- 2017年(平成29年) -創立百二十周年記念式典を太田市民会館にて挙行、記念公演、および高座に立川談四楼を招待。記念誌刊行。
校章
三種の神器の一つ、八咫鏡に「太高」(旧制は「太中」)の文字を配す。
校歌
校歌(1904年制定)は甲・乙があり、いずれも作詞は土井晩翠、作曲は楠美恩三郎が行っている。旧制中学時代の歌詞と現在の歌詞とを比べると「太田中学」が「太田高校」に書き換えられただけである。この校歌は日本で作られた校歌の中で最も古いものとされている。
初代校長の三浦菊太郎が同じ旧制第二高等学校に通っていた土井晩翠、楠美恩三郎に作詞作曲を依頼。土井は一度も太田中学(現太田高校)には来られず、当時の社会科教師新井信示が地図を送り、その地図を参考に作詞した。その後、土井が別件でこの地を訪れた際(1942年5月6日)、急遽講演を開催することとなった。講演の際に当時の矢野校長も「土井(どい)晩翠先生」と発音したが、土井本人は「『つちい』と申します。」と言い、生徒たちがどよめいたという。土井によると土井の出身地である東北地方では「つちい」という発音は非常にしづらく「どい」に改名したいうことであった。講演の後、全校生徒で校歌(乙)を斉唱した。その際、土井は直立したまま四十年前に自身が作詞した学校の校歌を感慨深げにじっと伏せ目がちに耳を傾けていたという。
なお、土井の読みを本人から指摘された1942年以降、太田中学・太田高校では、土井晩翠は正しくは「つちいばんすい」と語り継がれ、現在でもそのように読むのが慣例となっている。
現在では、朝の始業時と夕の終業時には校歌(乙)が校内放送にて放送される。歌唱は岩下利雄(中46卒,太田高校教諭(国語、音楽))によるものである。
校歌(甲)行軍歌
明治37年(1904年)制定
- 一、みどり常盤の金山の 頂き高き神鎮め
- 麓は太田朽ちぬ名を 永く母校にとめしめよ
- 二、大空映し花浮かし 流れて遠き大河や
- 日に夜に止まぬいそしみの 教へを汲まん利根の水
- 三、這い伏す地より身を起せ 奮へと宣るか高き影
- 六千余尺雲の上に たてる雄々しの大赤城
- 四、浅間ヶ嶽の二十余里 立つか眺も遠烟
- 空をも焼かん青春の 燃えたつ意気を比べよと
- 五、諭しは然かぞ金山の 麓に集ふ九百の
- 子等よ努めよ朽ちせぬ名 常久に母校にとめん為
校歌(乙)式場歌
明治37年(1904年)制定
- 第二高等学校教授 土井晩翠 作詞
- 東京音楽学校助教授 楠美恩三郎 作曲
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応援歌
- 時は来たれり
- 愉快だね節
- チャンス太田(作・高木規夫 昭和42年卒業 三代応援団長)
- 行進曲「OHS」(作・浅沼義則 昭和43年卒業 四代応援団長)
- 覇者の誉れ
- 逍遥歌(飯田邦夫 作詞)
特徴
要約
視点
行事
二年に一回に文化祭(太高祭、たこうさい)、対抗戦(本戦)が行われる。また、対抗戦(部戦)は毎年行なわれていた。(対抗戦は2021年、足利高校の共学化に伴い廃止)
現在は対抗戦の代わりとして煌斌祭が行われている。
なお、かつては対抗戦(本戦)、太高祭、体育祭を3年周期で実施していた。そのため、それぞれの頭文字の「T」をとり「3Tサイクル」と称していた。
- 対抗戦
隣接する栃木県足利市にある栃木県立足利高等学校[旧]との間で毎年開催されていた。両校はともに「質実剛健、文武両道」を校風として掲げていて、学習面や部活動面などでも常に良きライバル関係にある。本戦の年は一回交代で相手の高校を訪れ、足利高校は足利氏の旗(足利二つ引両)を、太田高校は新田氏の旗(新田一つ引両、大中黒)を掲げつつ、さまざまな種目で競い合う。それ以外の年は、部活動同士の部戦が行われる。また、2018年までの戦歴は足利高校ウェブサイトにて確認できる。
- 太高祭
3日間にわたり様々な出し物が出される。1日目は仮装行列と題し、各クラスの生徒がそれぞれのテーマを決めて仮装し市内を回る。2、3日目は校内で各クラスの出し物が行われ、各部活動では出店が開かれる。なお、出店での収益は部活動の予算として計上される。
- 体育祭
基本的に各生徒はトラック競技(15人16脚、スウェーデンリレー、いかだタイムアタック、団対抗リレー)から一種目、フィールド競技(大縄、綱引き、棒倒し、騎馬戦)から二種目を選択して行う。クラスがそのまま団となり、点数を争う。そのうちスウェーデンリレー、団対抗リレー、棒倒し、騎馬戦については団対抗で戦い、その他の競技はクラス別となる。順位は団とクラス別々に発表される。また、応援合戦については各団3分の所定時間の中に、応援歌である「時は来たれり」を必ずいれ、様々な方法でアピールする。なお、現在は行われていない。
- マラソン大会
太田市運動公園とSUBARU(旧富士重工業)大泉工場の周辺、約8kmを全校生徒が一斉に走り順位を競う。交通事情の変化により、現在では開催されていない。
- 球技大会
2日半の間、バレーボール、バスケットボール、サッカー、ソフトボール、卓球、テニスの6種目について全学年の全クラス、及び職員チームの計22チームで行なわれる。トーナメント方式によって行なわれ、各チームの得点によって総合順位が決定する。
施設
- 稲荷山古墳:敷地内に「稲荷山古墳」という古墳が存在する(詳細は後述)。
- 記念碑等:創立100周年記念事業として設置された校名石碑(小山五郎揮毫)、スパイラルコンストラクション(森下巳作)、青年の譜(脇谷幸正作)などがある。
- 学習室:二階に存在する。130席ある学習室は一年中(7:00~19:00)使用する事ができ、多くの学生が利用している。ただし高校入試にあたる日は使用できない。また、授業がある生徒も利用が出来ない。学習室内では飲食が禁止されているが、学習室を一歩でると飲食ができる空間がある。
- 同窓会館:創立100周年記念事業によって改装され、一階は学生食堂、二階は研修室、三階は合宿施設となっている。二階には創立の鐘と呼ばれる、アメリカ合衆国イリノイ州ヒルズバロで鋳造された鐘がある。
その他
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稲荷山古墳
学校の敷地内に存在する円墳で、古墳のある学校は全国的にも珍しく、学校のシンボルになっている。校舎は古墳を避けるように直角に曲がっているため[1]、1階から4階までの西側の2教室は他の教室と少し離れた構造になっている。生徒会誌「いなり山」はここからとられた。いなり山掲載の生徒の創作では度々重要施設として登場する。埋葬施設、埴輪の有無等は未調査のため不明。
歴代校長
要約
視点
群馬県尋常中学校新田分校時代(新田分校主任)
群馬県太田中学校として独立以降~
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著名な教員
著名な出身者
政治
- 飯島祐之 - 衆議院議員、つゝじ観光バス社長
- 岡部周治 - 衆議院議員
- 小川省吾 - 衆議院議員
- 柿沼正明 - 衆議院議員
- 須永好(中退)- 衆議院議員、農民運動家
- 長谷川嘉一 - 衆議院議員
- 福井盛太 - 衆議院議員、検事総長
- 大屋晋三 - 参議院議員、商工大臣、運輸大臣、帝人社長。前橋中学校から太田中学校邑楽分校に転校。
- 境野清雄 - 参議院議員
- 大澤正明 - 群馬県知事(公選第17・18・19代)、第80代群馬県議会議長
- 清水聖義 - 太田市長、群馬県議会議員
- 戸澤久夫 - 太田市長、群馬県議会議員
- 斉藤直身 - 大泉町長
- 後藤克己 - 群馬県議会議員
- 田島國彦 - 国会議員政策担当秘書
- 吉田悦章 - ウズベキスタン情報通信省副大臣、同志社大学教授
経済
学術・研究
- 内山喜久雄 - 臨床心理学者、筑波大学名誉教授、日本学術会議会員
- 田島壮幸 - 経営学者、一橋大学名誉教授、日本経営学会理事長
- 斎藤功 - 地理学者、筑波大学名誉教授、元日本地理学会会長
- 宮澤淳一 - 音楽評論家、青山学院大学教授
- 若林宏宗 - 高校教諭・校長、太田情報商科専門学校校長、大学講師
- 橋本萬太郎 - 言語学者、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授
- 懸川武史 - 教育学者、群馬大学名誉教授
- 田村紀雄 - 社会学者、東京大学名誉教授
- 江沢洋 - 物理学者、学習院大学名誉教授。当校在学中に東京都立両国高等学校に転校
- 大島正光 - 医学者、東京大学名誉教授
- 茂木創 - 経済学者、拓殖大学国際学部教授
芸能
スポーツ
マスコミ
その他
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関連校
- 群馬県立前橋高等学校 - 分校時代の本校に当たる
- 群馬県立館林高等学校 - 旧制中学時代の邑楽分校にあたる。
- 栃木県立足利高等学校[旧] - 対抗戦を行っていた
参考文献
- 群馬県立太田高等学校九十年史
- 群馬県立太田高等学校金山同窓会報第10号
脚注
関連項目
外部リンク
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