トップQs
タイムライン
チャット
視点

税所篤文

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

Remove ads

税所 篤文(さいしょ あつふみ、1855年8月29日安政2年7月17日[1] - 1910年明治43年〉2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将[2]鹿児島県出身[2]

人物

薩摩藩士の税所六郎兵衛篤志の子として生まれる。

陸軍士官学校旧2期卒。1886年(明治19年)、陸軍砲兵大尉に任官し、砲兵第5連隊第1大隊中隊長を拝命する。1895年(明治28年)、陸軍砲兵中佐に任官すると、軍務局砲兵課長、軍務局兵器課長を歴任する。1902年(明治35年)、陸軍少将に任官と同時に呉要塞司令官に補され、翌年同要塞が広島湾要塞に改称されると再度司令官に任用された。1906年(明治39年)8月、旅順陣歿露兵遺骸合理委員会が設置されると委員長に選任される。その翌年には旅順要塞初代司令官伊地知幸介の後任として第2代司令官に任じられるが、約3年後の1910年(明治43年)2月26日、腎臓炎と盲腸周囲炎の合併症により[3]現職のまま卒去した。同日付で正四位を追叙された。墓所は青山霊園

官歴

Remove ads

栄典・授章・授賞

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads