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稲垣昭賢
江戸時代中期の大名 (1698-1753) ウィキペディアから
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稲垣 昭賢(いながき あきかた[1][2][3])は、江戸時代中期の大名。下野国烏山藩2代藩主、志摩国鳥羽藩初代藩主。鳥羽藩稲垣家5代。幼名・重相(しげすけ)、のち重量(しげかず)[1][2][3]。
生涯

元禄11年(1698年)4月10日[2]、三河国刈谷藩主・稲垣重富の嫡男として生まれる[1]。宝永5年(1708年)11月15日、将軍・徳川綱吉に初めて拝謁する[1]。
宝永7年(1710年)6月11日、家督を相続し下野国烏山藩主となる[1]。正徳2年(1712年)12月15日、従五位下信濃守[1][3]。正徳3年(1713年)11月21日、和泉守に改める[1][3]。
享保10年(1725年)10月18日、烏山藩から志摩国鳥羽藩に移封される[1][2][3]。このとき天英山光岳寺を烏山から鳥羽に移した[2]。同年12月1日摂津守に改める[1]。
宝暦2年(1752年)11月29日[3]/12月3日[1]/12月29日[2]、55歳で死去した。
嗣子がなかったため、弟稲垣昭辰の子の昭央が養子となって跡を継いだ[2]。法名は泰政院殿華岳英山大居士[1]、墓所は群馬県伊勢崎市の天増寺[2][3]。
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系譜
父母
正室
子
出典
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