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稲垣昭央
江戸時代の大名 (1731-1790) ウィキペディアから
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稲垣 昭央(いながき あきなか[1][2])は、江戸時代中期の大名。志摩国鳥羽藩2代藩主[1][2]。官位は従五位下・和泉守、対馬守。鳥羽藩稲垣家6代。幼名・万次郎、通称・頼母、大蔵[1][2]。
生涯

享保16年(1731年)11月29日、稲垣昭辰(先々代稲垣重富の次男)の子として誕生[1]。延享2年(1745年)6月3日、伯父の鳥羽藩主・稲垣昭賢の養子となる[2]。翌延享3年(1746年)12月18日従五位下和泉守[2]。
宝暦2年(1752年)12月29日に昭賢が死去したため、翌年正月25日に家督を継いだ[1][2]。同時に対馬守に改める[2]。
安永2年(1773年)7月22日に致仕して家督を長男の長以に譲る[2]。寛政2年(1790年)5月17日に死去した[1][2]。60歳。
系譜
父母
- 父・稲垣昭辰
- 母・カヨ(家女)[1]
正室・側室
子女
出典
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