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稲沼瑞穂

日本の翻訳家 ウィキペディアから

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稲沼 瑞穂(いなぬま みづほ、1908年明治41年)8月3日 - 1965年昭和40年)7月29日)は、日本翻訳家、元岩波書店編集部長。科学史研究の先達とされる[1]

来歴

1908年8月3日東京都文京区高田豊川町に生まれる[2]東京府立第五中学校第一高等学校理科甲類を経て、1929年東京帝国大学理学部物理学科に入学する[2]

1933年に卒業し、4月に岩波書店編集部に入る[2]1937年11月、病気療養のため退職する[2]1938年4月、神奈川県立厚木中学校の嘱託に、同年6月から教諭になる[2]1941年陸軍予科士官学校の教授となる[2]。同年に日本科学史学会が発足し、その幹事の一員として会務を処理する[3]

1942年文部省図書監修官となり、図書局第二編修課に勤務する[4]1947年、文部省科学官を兼ねて科学局に勤務する[4]。また、学術体制刷新委員会の委員に選ばれる[4]1948年、文部省を退官し、再び岩波書店編集部に入る[4]。同年4月24日、科学史学会再建第1回の総会で、幹事に選ばれる[5][6]

1949年、編集第一部副部長となる[4]1950年、編集第二部長および図書課長・雑誌課長を兼任する[4]1955年、編集部長となる[7]1958年、辞典部部長を兼任するが、病気再発のため9月に休職し入院する[7]1959年に復職するも、1960年に再び休職する[7]1963年、岩波書店嘱託となる[7]

1965年7月29日肺結核のため死去、享年57歳[7][8][9]。同年8月1日告別式が行われる[7]

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業績

  • 石原純らが創刊した雑誌『科学』の実際上の編集者であった[10]
  • 岩波書店在職中は『理化学辞典』『科学の辞典』『西洋人名事典』『生物学辞典』の編集に携わったほか[11][12]、『広辞苑』の編集に際して『広辞苑』の編集部に自然科学関係の執筆者を紹介した[13][注釈 1]
  • 文部省在職中に学術体制刷新委員会の委員となり、1947年、小倉金之助ら4人の委員と共に「最高科学者会議」案を提出し、学術会議の発足に関与した[16][17]
  • 1958年、平田寛との共訳である『図解科学と実験の歴史』(シャーウッド・テイラー著)が第5回産経児童出版文化賞の推薦に選ばれた[18]

著作

翻訳

  • ローレンス・ブラッグ『電気と生活』創元社〈創元科学叢書 43〉、1943年11月。 NCID BN05318126全国書誌番号:46017925
  • マイケル・ファラデー『力と物質』岩波書店岩波文庫〉、1949年1月。 NCID BN01808291全国書誌番号:46015425 全国書誌番号:48002605
  • ヘンリー・ブラッグ『光の宇宙』創元社〈創元科学叢書 46〉、1951年11月。 NCID BN05729244全国書誌番号:52001642

共訳

記念集

脚注

参考文献

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