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立山町立釜ヶ渕小学校
富山県立山町にある小学校 ウィキペディアから
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立山町立釜ヶ渕小学校(たてやまちょうりつ かまがふちしょうがっこう)は富山県中新川郡立山町にある公立小学校。
概要
1896年(明治29年)7月20日に開校し120年以上の歴史を持つが少子化により統合が検討されている。 小学校名の「渕」の漢字は、「淵」の異字体で1947年に釜ヶ淵から釜ヶ渕に改称されている。
校舎は鉄筋コンクリート造り3階建て延床面積2,150m2[2]。
沿革
- 1872年(明治5年)- 末三賀開(竹島彥三郎宅)にて開校(生徒数数名)[3]
- 1882年(明治15年)- 米道村に新瀬戸分校を開く[3]
- 1889年(明治22年)4月1日- 町村制施行に伴い釜ヶ淵村発足 [4]
- 1892年(明治25年)- 簡易小學校を廃止し末三賀尋常小學校、米道尋常小學校となる[5]。
- 1895年(明治28年)6月7日 - 1尋常小學校に指定されるが、後に釜ヶ淵村会が従前通り2学校を据え置くと答申したことや加え、県参事会が原告の申し出を否決したことで村会が行政裁判所へ提訴した(この裁判は1年余り続いた)上、住民の間でも1校論と2校論の争いが発生し、創立が遅れる[3][5]
- 1896年(明治29年)
- 1908年(明治41年)10月 - 校舎の新築工事に着手[7]。
- 1909年(明治42年)6月13日 - 新校舎落成式を挙行。以後記念日とする。同時に旧校舎を体育館に模様替えする[7]。
- 1911年(明治44年)4月 - 通年女子二年制実業補習学校併設[8]。
- 1913年(大正2年)4月 - 併設農業補習学校と改称[9]。
- 1915年(大正4年)5月 - 雨天体操場床張り起工、同年6月竣工[10]。
- 1923年(大正12年)12月29日 - 講堂、宿直室、小使室の落成式を挙行[11]。
- 1934年(昭和9年)11月8日 - 二宮尊徳像の除幕式[12]。
- 1942年(昭和17年)2月 - 釜ヶ淵国民学校と改称(初等科6ヶ年、高等科2ヶ年)[13]。
- 1943年(昭和18年)12月22日 - 二宮尊徳石像の除幕式[14]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 釜ヶ淵国民学校から釜ヶ渕小学校と改称[15]。
- 1955年(昭和30年)12月27日 - 新館西側4教室増築落成式を挙行[16]。
- 1968年(昭和43年)3月14日 - 南門を建設[17]。
- 1976年(昭和51年)11月5日 - 創立八十周年記念式典に合わせて、校旗を樹立[18]。
- 1983年(昭和58年)7月8日 - 新校舎の起工式を挙行[2]。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1988年(昭和63年)8月11日 - グラウンド照明点灯式[21]。
- 1996年(平成8年)11月10日 - 「かまがふち:創立百周年記念誌」発行 [22]。同日、百周年記念式典を挙行および国旗掲揚塔3本と門柱(正門)設置[23]。
- 2016年(平成28年)- 創校120周年 ドローンから「かまがふち」の人文字(生徒83名及び職員)を撮影
- 2021年(令和3年)- プール老朽化のため常願寺ハイツ温室プールで水泳学習実施
- 2022年(令和4年)- 外国語指導助手(ALT)が釜ケ渕小学校に常駐[24]
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通学区域
野村、末三賀、道源寺、中山、鋳物師沢、米道、寺坪、谷口、末谷口、岩峅寺の一部[25]
進学先
周辺
関連項目
脚注
外部リンク
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