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第十号掃海艇 (3代)
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第十号掃海艇(だいじゅうごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第七号型掃海艇 (3代)の4番艇。
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艦歴
1937年(昭和12年)12月21日、石川島造船所で起工[1]。1938年(昭和13年)5月28日、掃海艇に類別[2]。同年9月22日進水。1939年(昭和14年)2月15日に竣工。佐世保鎮守府籍に編入[3]。
1941年(昭和16年)4月10日に第三艦隊が新編された[4]。この艦隊は第十六戦隊、第十七戦隊、第五水雷戦隊、第十二航空戦隊、第一根拠地隊、第二根拠地隊からなり、「第九号掃海艇」は第一根拠地隊の第二十一掃海隊に所属していた[5]。
太平洋戦争では比島部隊第二急襲隊の一隻としてフィリピンのビガン攻略に参加した[6]。第二急襲隊は上陸部隊を乗せた船団を護衛して1941年12月7日に馬公から出撃[7]。12月10日に上陸が行われた[7]。同日、「第九号掃海艇」はビガン湾で米陸軍機の銃撃により爆雷が爆発し沈没[3]。79名が戦死し、17名が負傷した[8]。これは第34追撃飛行隊のP-35A(サムエル・H・マレット中尉機)によるもので、同機は爆発に巻き込まれ墜落した[9]。
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歴代艇長
- 艤装員長
- 志摩岑 少佐:1938年11月15日[11]
- 艇長
脚注
参考文献
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