第百三号哨戒艇
日本の鹵獲哨戒艇、元はアメリカの掃海艇 ウィキペディアから
第百三号哨戒艇[2](だいひゃくさんごうしょうかいてい)とは、大日本帝国海軍の鹵獲艦艇の一つ。元はアメリカ海軍の掃海艇フィンチ (USS Finch (AM-9)) 。
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概要
1942年(昭和17年)4月11日、フィリピンのマニラ湾ギャビテ港で日本軍の攻撃により撃沈。マニラの第百三海軍工作部が浮揚修理した。
艇歴
- 1918年9月10日 スタンダード造船会社でアメリカ海軍ラップウィング級掃海艇Finch(AM9)として竣工
- 1942年4月11日 マニラ湾ギャビテ港で日本軍の攻撃により沈没
- 1942年5月 浮揚、マニラの日本海軍第百三海軍工作部が修理
- 1943年4月1日 第百三号哨戒艇と命名[3]、哨戒艇に類別され[4]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[5]。第三南遣艦隊附属に編入[6]。
- 1945年1月12日 ベトナム南部のファンリ沖で、アメリカ海軍空母艦載機の空襲を受け沈没
- 1945年3月10日 帝国哨戒艇籍から除かれる[7]
- 第百三号哨戒艇長
脚注
参考文献
関連項目
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