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2008年イタリア総選挙
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2008年イタリア総選挙(2008ねんイタリアそうせんきょ、イタリア語: Elezioni politiche italiane del 2008)は、2008年4月13日・14日に施行されたイタリアの国会議員選挙である。
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概要
1948年のイタリア共和国憲法制定後16回目の総選挙で、上院(元老院)と下院(代議院)の全議席[1]を改選した。
選挙までの経緯
2008年1月、第2次ロマーノ・プローディ内閣の与党であった欧州民主連合・人民(UDEUR)が政権離脱を表明した。UDEUR書記長で法務大臣のクレメンテ・マステッラに対する検察捜査を与党が追認したことへの反発からであった。
首相のプローディは、上下両院に内閣信任決議案を提出。下院では与党多数であったため決議案は可決されたが、上院はUDEURの離脱により与野党が伯仲、決議案は否決された。プローディは内閣総辞職を大統領のジョルジョ・ナポリターノに願い出たため、ナポリターノは後継首相の選出を模索したが、解散・総選挙を主張した野党が協力を拒否した。ナポリターノは首相選出を断念し、2月に上下両院を解散した。
与党最大勢力の民主党(PD)は、書記長のワルテル・ヴェルトローニが引退を表明したプローディに代わり首相候補として左翼勢力との連携を否定、PD独自で選挙に臨むことを表明した。一方の野党は、最大勢力のフォルツァ・イタリア(FI)が国民同盟(AN)との統合を前提とした新しい政党連合「自由の人民」(PdL)を結成した。
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選挙データ
解散日
候補者名簿提出日
- 2008年3月10日
投開票日
改選数
- 下院(代議院) - 630名
- 大選挙区(州選挙区):617名
- 小選挙区(ヴァッレ・ダオスタ州)1名
- 在外選挙区:12名
選挙制度
- 上院
- 拘束名簿式比例代表制(25選挙区、州単位)
- 小選挙区制(トレンティーノ=アルト・アディジェ州、ヴァッレ・ダオスタ州)
- 下院[2]
- 拘束名簿式比例代表制(26選挙区、州単位)
- 小選挙区制(ヴァッレ・ダオスタ州)
- 在外選挙区
主な争点
- 政権選択 - 主要政党(政党連合)の首相候補
- 自由の人民(PdL)
シルヴィオ・ベルルスコーニ - 民主党(PD)
ワルテル・ヴェルトローニ - 中道連合(UdC)
ピエル・フェルディナンド・カジーニ - 虹の左翼(AS)
ファウスト・ベルティノッティ
投票結果
要約
視点
前回選挙を選挙連合「自由の家」で臨んだ中道右派連合は、今回は中道勢力が抜けたことから得票率は減少したものの、保守・右派勢力が引き続き連合を組んだ事で、政権への批判票を吸収することに成功したことで中道左派・左翼勢力を抑えて最多得票を獲得した。
一方で「ルニオーネ」最大勢力の民主党が離脱し、中道勢力と左翼勢力に分かれた。このため前回選挙で約50%を占めた中道左派勢力の票が分散、政権維持に失敗した。
上院
ヴァッレ・ダオスタ州選挙区
トレンティーノ=アルト・アディジェ州選挙区
下院
ヴァッレ・ダオスタ州選挙区
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選挙後
自由の人民が上下両院で過半数を獲得、党首のシルヴィオ・ベルルスコーニが3度目の首相の座に返り咲いた(第4次ベルルスコーニ内閣)。
民主党は野党に転落、ローマ市長選挙でも元職が落選した。しかし左翼勢力を除いた改選議席は増加したことから二大政党の一角として認知された。
自由の人民に参加せず、選挙後のキャスティング・ボートを狙った中道連合は、下院では僅かに議席を減らしたのみだったが、上院では3議席に留まった。
民主党と袂を分かった左翼勢力は大幅に票を減らし、上下両院で議席を失った。西ヨーロッパ最大の勢力を誇った共産党が議席ゼロに終わったのは、第二次世界大戦後初めての出来事であった。
脚注
外部リンク
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